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安全保障を考える(安全保障懇談会 講演)
〜21世紀の安全保障を考える〜
安全保障懇話会 会長  
衆議院議員  山崎 拓   
 
安全保障懇話会の会長の職をけがしております山崎拓でございます。  
 
 
 
 今日は安全保障懇話会の主催によりまして、時局講演会でお話する機会をいただきました。  
 
 会のメンバーだけでなくて他の方々もお呼びになっているようですが、たぶん軍事専門的な話ばかりでなく幅広く話をしろ、むしろ政局の話をしろという思し召しではなかと思っております。そういうことも含めまして、ややアマチュアではありますが、私が考えております我が国の安全保障政策に関して、少し広い視野からの話ができたらなと思っているところであります。  
 
 まず、五十君理事長からのご紹介で11月政局について言及がありまして、いかに皆様方のご関心が深かったかということを伺い知ったのであります。報道された表面現象とは違いまして、日本の政治に対する危機感というものについて、私は、主役でありました加藤元防衛庁長官と思いを同じにするところがありまして、行動もまた共にいたしたわけであります。この点は、また折々に触れたいと思います。  
 
まもなく世紀が終わりますが、20世紀を振り返りまして、20世紀の前半は、明治維新後の列強に互するという国民的な課題、司馬遼太郎に言わせれば、坂の上の雲を追うということでありました。富国強兵策をとりまして、日清戦争は19世紀でしたが、日清、日露戦争、日韓併合、太平洋戦争、第二次世界大戦と続いて、いわば富国強兵策を国是として国勢の進展につとめたわけであります。この強兵策が失敗するところとなりまして、戦後と申しますか20世紀の後半に入っていくわけですが、憲法9条に代表されるような完全に強兵策を捨てた富国一辺倒でやってまいりましたのが、つまり経済大国を目指すということを国是といたしましたのが、20世紀の後半であったと思うのであります。  
 
 そこで、21世紀はどのような国家目標、理念をもって国是とするかということは、どなたもお示しになっていないところであります。私は、その不透明さが日本の国民に大きな不安を与え、国力の衰弱化現象を手伝っていると考えております。いま世紀を渡るぎりぎりのカウントダウンの時期に来ておるわけでありますが、今こそ21世紀を展望して、日本をこうするという新しいリーダーシップを示すべき時期であろうと思うわけです。日本の将来をどういう方向で切り開いていくべきか、活力をどうやって保つのか、1月の通常国会冒頭における施政方針演説が最も重要です。その施政方針演説を誰が行うかということが肝心かなめのことではないかと、それを自分がやりたいという抱負を私の信頼する同志の加藤さんが意思表示されたのです。そこで、私も共鳴しようということであの行動に走ったのであります。しかし結果は、戦略において正しかったが、戦術おいて大きな過ちをいくつも犯したと思っております。その点について縷々解説する必要もないかと思いますが、もしご質問があれば申し上げますけれども、大きな挫折を招いてしまったわけであります。現総理が結果として国会で信任を受けるということに相成りましたので、来年の施政方針演説、これは21世紀のへき頭を飾る国家の目標を示すべき大演説たるべきものですが、これを現総理が担われるということになりまして、もはや民主政治の原則に基づいて異を唱える立場にはありません。期して待つべきものがあると申し上げておきたいと思います。  
 
一方、米国におきましては、新政権が誕生することになりました。日米同盟関係が、20世紀後半の日本の平和と繁栄を支えてきた大基軸であるのは申すまでもないところでありますし、それは引き続き21世紀においても、少なくとも前半において、私は変わらぬものだと確信しておるのであります。その新政権の人事を見ておりますと、これは安全保障専門家一色になっていると感ずるわけであります。もちろん軍事力は政治力の最後の手段であり、外交、防衛、安保は一体のものであります。そういう見地からすれば、この人事については別に当然のことではないかとも思うわけです。あれだけの軍事大国であり、また世界の警察官を言葉では否定していますが、事実上担っている米国のことですから、パウエル氏が国務長官になるとか、ラムズフェルド氏が国防長官になるとか、いろいろ人事のことが報道されておりますけれども、このことはブッシュ政権の新しい力の源泉であるというふうに私は考えるわけであります。  
 
 それでは、この新政権はこれからどういう政策の展開を行っていくのか、ブッシュさんの人となりや経歴を聞いて考えてみました。ご尊父たるブッシュ元大統領は、第2次世界大戦の経験者でもありちょっと別格ですが、今度の新しいご子息の方はそういう経験をお持ちでない方でありまして、いま私が申し上げたような新しいブッシュ政権の人材が大きな責務を担っていくことになるだろうと思われます。  
 
 そこで、今日お集まりの有職者の皆様はすでに目を通されていて屋上屋になると思いますが、お許しをいただきまして、米国国防大学附属国家戦略研究所の特別報告書に言及させていただきます。この「米国と日本、成熟したパートナーシップ」と題するレポートが最近大変有名になっております。この報告書の位置付けは、日米のパートナーシップに関して超党派の研究グループが合意したものであること、そしてこの研究グループがアーミテージ元国務次官補、キャンベル前国防次官補代理、ナイ元国防次官補、グリーン外交評議会委員等々のシンクタンク研究者で構成されていて、もちろん参加研究者の見解であってブッシュ政権の公式見解ではないけれども、私に言わせれば、この報告書の作成をリードした面々がこれらの政権を担うという意味で、この報告書の価値を明確にしていると考える次第です。  
 
 この報告書の中で、非常に重要と思われます点をピックアップしてまいりたいと思います。最初に結論の方を紹介しておきますが、こう言っていますね。  
 
「約150年前にペリー提督の黒船が東京湾に現れて以来、日米関係は良かれ悪しかれ、日本とアジアの歴史を形作ってきた。新千世紀を迎えるにあたり、日本と米国は、避けることのできないグローバリゼーションの圧力および冷戦後のアジアの安全保障形成へのダイナミズムに起因する、新たなそして複雑な課題に直面している。これらの課題への日米の対応いかんで、それが単独であれ日米共同のものであれ、アジア太平洋地域の安全保障と安定の行く末と新世紀における可能性は、大きく決定されるだろう―過去においても、両国関係が(この地域の)経済的、政治的、戦略的な輪郭に影響を与えてきたのと同様に。」というのが結論になっています。つまり日米関係こそが、アジア太平洋地域の安全保障に決定的な役割を果たし続けていくということを強調して結ばれているわけであります。  
 
 この序論においては、アジアの、米国の安全保障における重要性を強調して、米国を大規模紛争に巻き込むような対立は、朝鮮半島および台湾海峡で突然発生する可能性があり、インド亜大陸も主要な危険地域であるとし、しかもこれらの紛争は核戦争に発展する危険性があるということを言っております。このような認識が果たして日本側に明確にあるのかということになりますと、認識の差が日米間に歴然とあるわけです。たとえば、最近の朝鮮半島情勢の動きに日本側は幻惑されて、判断が甘くなっている点であります。金大中大統領のノーベル平和賞の受賞というのはまことに輝かしいものですがそのことがすなわち朝鮮半島における情勢を本当に180度転換させるような、バラ色の平和と安全を朝鮮半島の上に実現する証しであるのかどうかということになりますと、私はこれが一時的な栄光に終わらないように祈念したいと思うのです。むしろ、米側のこのような引き続き厳しい情勢認識を我々は共有するべきではないか、決して甘い対応は行ってはならない、と考えるわけであります。わが国の平和と安全に重大な責務を負う立場から、その点を共有認識としてもっておかなければなりません。  
 
 さらに、「日本は引き続き米国のアジアに対する関与の“要石”であり、日米同盟は米国の世界的安全保障の中核である。」と言っております。この点でも我々はこの米国の認識についてしっかりしたキャッチャーであるべきではならないかと考えるわけであります。そこで、我々政治家が少し反省しなければならない点は、次のくだりであります。「日本は、主としてグローバリゼーションの圧力により、第二次世界大戦以来の変革期にある。また、この変化は潜在的には明治維新以来の根本的なものとなる可能性がある。したがって、米国にとっては、21世紀に向けて日米同盟を維持・強化していくための鍵は、現在日本に起きつつある変化の結果を見越した形で、二国間の関係を再構築していくことにある。」ということを言っておるわけであります。こういう明治維新以来の根本的な変化の渦の中にあるという認識や、またその変化を実現しなければならないという認識が、日本の政界に本当にあるのかということを、私は反省しておるわけであります。現政権もそれ以前の政権もそうですが、単に当面の最大の政治課題が景気回復にあるとか、また、それは財政出動によって景気回復を行うものであるとか、さらに、その結果として財政の赤字が肥大化して、我々の子孫のみならず国際社会に対しても大きな不安感を与えているといった議論にとどまっている日本の政治の在り方について、その中に見を置く者の一人として、反省し警鐘を乱打すべきものと考えるのであります。そういう基本的なことがこの中で言われておるわけです。  
 
 この安全保障とは少し離れた経済問題についても、このレポートは言及しております。たまたま、景気対策のみしかないということを述べましたので、あえてこの経済関係についての記述を引用させていただきたいと思います。  
 
「日本が経済的に健全であることは、日米のパートナーシップを成功させる上で非常に重要である。」と言っているのは、当然であると思います。続いて、レポートは、「内向きで、フラストレーションが多く、不安に満ちた日本の国民は、同盟関係においても、より大きな役割を望まないだろうし、また、そうすることもできないであろう。不幸にも、日本は10年にわたり不景気を経験した。日本が再び持続的な経済成長を達成するためには、市場を開放することおよび以下のことを認識する必要があろう。すなわち経済改革の要は、規制緩和や貿易障壁の撤廃、そして市場の開放を支える一層強力な規制と制度を通じて、民間部門がグローバリゼーションに対応できるようにすることである。」と述べております。これは経済構造改革を一層進めろ、また市場開放を進めろということであります。これは一層の外圧であろうかと思いますが、私は外圧を好まない精神構造の持ち主ではありますけれども、言っていることは正しい。  
 
 そこで、さらにちょっと飛ばして申し上げますと、「経済回復への障害は引き続き存在する、銀行問題は引き続き対応が必要であり、また、景気刺激策は、長期的な成長につながらない公共事業にあまりにも重点をおきすぎてきた。」という認識を示して指摘をしております。さらに、「日本は不適切な財政改革によって、対GDP比で先進国中最大の債務を抱えることになっている。」ということを強調して、この点を解決しなければ二国間のパートナーシップの改善にもとるのみならず、世界の迷惑だということを言っているわけであります。  
 
 最近、私はリンゼーさん、この方は財務長官候補であるといわれてきましたが、今のところ経済政策担当大統領補佐官に就任されるという情報でありますが、この人が、日本に来られる都度、いろいろと意見交換をしてきました。最も最近来られたのは11月15日でしたが、ちょうど例の加藤政局のまっただ中で、私はリンゼーさんとお会いしました。その時の報道もありましたが、彼が我々と一時間半朝食を共にした中でテーマに取り上げたのは、我が国の財政再建問題一本でありました。もちろん、経済担当ですのでそうなったのだと思いますけれども、「日本の財政再建には三つの方法しかない。一つは増税を行うこと、二つは歳出を削減すること、三つは調整インフレを行うこと、その三つの方策しかないはずだ。これはまた経済学の常識でもある。」と言っておられました。彼は、「今日は元ハーバード大学教授としての立場での話であり、新政権のスタッフとしての発言ではありません。」と断りをおかれたのですが、学者的に言うならば、その三つしかないだろうというわけです。しかし増税はできないのではないか、今の政権の弱体ぶりを見ると、たとえば消費税をまた上げるなどということは、到底なすべくもないし、たちまち政権を失うだろうというわけです。調整インフレという第三の手段については、学者の世界の話であって実行不能であるし、ひとつ間違うと大インフレーションを惹起する可能性があって調整インフレがうまくいくとは到底言えないので、したがってこれもとるべき手段ではないと、彼は言うわけです。そうなると歳出削減しかない。歳出削減を行なうという決意を政権が示さない限り、国際的信用は得られないであろうということを、リンゼー氏はそのとき強調しておりました。  
 
 さらに、やや踏み込んだ話として、歳出削減をするということになれば、日本経済を冷やすということになりかねない。日本経済を冷やすということは、今の政権の当面する景気回復という課題に背馳することになるので、そういう政策はようとらないだろうと思われる。しかし、そこはアメリカ市場において引き受けるので、輸出でカバーしてくれと彼は言う。つまり、歳出削減からくるGDPの落ち込みは輸出でカバーしてくれ、その輸入はアメリカ市場が引き受けると、学者の立場でものを言うといいながら、ブッシュ政権を代表するような口振りで言うわけです。しかし、それでは経常収支の赤字が大きく出来するのではないかと我々が指摘したところ、リンゼー氏曰く、「その点は、我々としては日本に資本収支でカバーしてもらうということになる。」とおっしゃる。つまり、日本では非常に高い貯蓄性向によって、消費に向かない資金がかなり余剰に存在しているので、それを米国に回してもらうという形で、資本収支でカバーするということを要請したいと言っておりました。もちろん、アメリカとしても貯蓄性向を高める努力はするけれども、日本のあり余る資金力に米国経済も依存したい、そのかわり市場をうんと開放する、日本の市場開放も求めるが、アメリカはもっともっと市場開放によってあるいは今の好況を維持することによって期待に応えたい、という趣旨の話をされたわけであります。こうした話の中に、米国政府の出方と言うものが、おぼろげながらご理解いただけると思うのであります。  
 
 再び安全保障政策の話に戻しますと、このレポートの中で明らかに指摘されておりますことは、集団的自衛権の問題であります。  
 
「日本が集団的自衛権の行使を禁止していることは、日米の協力を制限している。これを取り除くことにより一層緊密かつ効果的な安全保障協力が可能となる。集団的自衛権の問題は日本国民の専決事項である。米国は、日本の安全保障政策の特徴を形成するような日本国内の判断を尊重してきたし、これからもそうすべきである。しかし、米国は、日本が一層貢献的で対等な同盟国となることを歓迎する姿勢を明確にしなければならない。」と述べているわけであります。ここが非常に重大なところでありまして、今までの米国の政権と違って、集団的自衛権の行使について我が国に対してさらに要請が高まるということになろうかと思います。  
 
この集団的自衛権の問題について、そこにいらっしゃる冨澤さんと集団安全保障と集団的自衛権の関係につきましてちょっと議論をしかかったことがありますが、私は集団安全保障の考え方を決して否定するものではありませんし、すばらしい考え方であると思います。集団安全保障の考え方と集団的自衛権の問題はもちろん違った体系の話ではありますが、集団的自衛権の方が、日米同盟関係が日本の平和と安全についての基軸であるということもありますし、より重要なテーマではないかと私は考えるわけです。この議論をよくされるのが自由党でありますが、たまたま自由党が新しい憲法草案なるものを発表されまして入手したところ、安全保障について次のような記述があります。  
 
「二十世紀に人類が起こした悲劇を繰り返さないために、現行第9条の理念を継承する。同時に、二十一世紀においては、旧世紀の戦争観にとらわれない新しい安全保障の概念を創造する。新世紀において日本が平和を維持し存続していくためには、国際社会との真の強調を図らなければならない。もはや、個別的自衛権や集団的自衛権だけで自国の平和を守ることは不可能である。」(自由党 新しい憲法を作る基本方針 第一次草案)  
 
 この最後のくだりでありますが、もはや、個別的自衛権や集団的自衛権だけで自国の平和を守ることは不可能であるというのは、はたしてそうであろうかと、私は疑問を呈したいと思います。自国の平和を守ることは、個別的自衛権や集団的自衛権で行うべきでありまして、わが国の場合、集団安全保障に自国の平和を守ることを期待することは非現実的であると考えます。もちろん、昭和32年5月にできた国防の基本方針がありますが、皆様そらんじていらっしゃる方ばかりでありますが、あの中には、いずれ国際連合がわが国の平和と安全を担保する時が来ると思うが、それまでの間、自衛隊の任務があるのだ、日米安保体制の意味があるのだということが書いてあるのは事実であります。国防の基本方針が、43年間も放置され一回も見直されてないということは、憲法よりは寿命が短いけれども、誠に不思議なことで、皆様もいかがなものかとお考えになっているのではないでしょうか。それはさて置き、はたして国際連合が日本の平和と安全を保障してくれるのかということについて、私は疑問を持っているのであります。新しい憲法の中にそのことをうたうことは、理想として可能ですが、現実的には不可能ではないかと思うわけであります。  
 
 草案は、さらに続けて、「そのためには、外交努力に全力を尽くし、国連による集団安全保障を整備するとともに、国連を中心としたあらゆる活動に参加する、さらに、日本が率先して国連警察機構創設を積極的に提唱する。同時に、人類を破滅に導く大量破壊兵器の全廃を推進する。」とあります。全て理想として結構ですが、国際連合が出発にあたりまして、集団安全保障組織として国連軍を設けて、その活動によって国際平和を確保するということは、理想と申しますか、実現を見てないわけです。また、近い将来においてそれが実現するというのは、むしろ実現しない方向に動いているというふうに考えるわけであります。私は、集団的自衛権を行使する権利をまず我々が持つことによって、むしろ平和に積極的な貢献を果たしていくことのほうが優先順位が高いと判断するわけであります。とりわけ、わが国がおかれた周囲の環境を見ておりまして、中国やロシアという大国が正対している中の島国であり、その前に朝鮮半島があり台湾があるという状況の中で、国連安保理決議を必要とする国連の活動あるいは集団安全活動というものが、実際に現実のものであろうか実現するであろうかということを考えると、必ず拒否権の行使にあうと考えるわけであります。ですから、一旦緩急ある時に国連が出てくるということが、この地域の我々を取り巻く環境においてはたして可能であるかということを考えると、それは極めて非現実的な理想ではないかと思います。私は、自由党の安全保障に対する優れた見識というものは評価いたしますが、この部分だけがやや現実を踏まえていないのではないかといつも考えているわけです。  
 
 ただ、集団的安全保障活動やその類似のもの、たとえばPKO活動がありますが、このような活動に積極的に参加するということについては大賛成ですし、現に実施中のPKOについて、一日も早くPKFの凍結解除が行われるべきであると考えているわけであります。しかし、それは確かに集団安全保障の概念の中に入るのかもしれませんが、国際連合が発足時に予定した集団安全保障措置の中核的、本質的なものではないと考えるわけです。むしろ現状では、私は多国籍軍が最も近い実例であると思いますし、この多国籍軍を集団安全保障の考え方の中で評価すべきものと考えております。つまり、多国籍軍は、国連加盟国の中の相互の集団的自衛権の行使であって、安全保障面において危険にさらされた際に、共に国際連合に加盟しているという意味において、それを広く同盟的な関係ととらえて、共に集団的自衛権を行使するという形で多国籍軍が派遣されるという考え方であります。また、私は学者ではないのでこういう議論をすることは僭越かもしれませんが、安保理決議がある場合でも、集団的自衛権の範疇にそのような行動を捉えることができるのではないかという解釈をとっております。真の集団安全保障というのは、未だ創設を見ない「国連軍」そのものの活動にあるということを日頃から論じているということを申し上げておきたいと思います。  
 
 やや迂遠なことを申し上げましたが、私は昨年、例のガイドライン立法の際に特別委員長を務めまして、委員の皆様方の議論をつぶさに委員長席で聞いておりました。その中で、最も奇異に感じかつ自由党の議員の皆さんが舌鋒鋭く迫りましたのは、後方地域支援の問題についてであります。この後方地域支援とはなんぞや、これは後方支援ではないのか、これはまた、集団的自衛権の行使ではないのかという議論です。政府は、いやそうではない、後方支援と地方地域支援とは、截然と分けられるものであると答弁をしたわけです。後方地域というものは全く戦闘地域とは一線を画した地域であること、そこにおいて米軍に対する支援活動を行うものであるから、これは集団的自衛権の行使ではないと、政府は繰り返し答弁したわけです。後方と後方地域とに分けて説明をしたわけですが、地理的概念だろうと思いますが地理的概念であるとすればなおのこと、はたして日本の平和と安全に重大な影響を与える周辺事態において、後方地域として戦闘地域と截然と分けられるという地域というものが存在するだろうかという疑問も自由党の議員の皆さんが指摘したわけであります。特に、捜索救難活動という分野を考えますと、戦闘地域と全く無縁のところまで出てきたものを捜索救難するということは、たぶん遅きに失する話であって捜索救難活動の名に値しない活動になってしまうと誰でも考えることではないか、私は質問を聞きながら、自由党の主張を至極もっともだなと思っておりました。  
 
 そういうペダンテックな議論は別にして、我が国の平和と安全に重大な影響を与える事態において、米軍の活動に支援を行うということが許されないことだろうか、集団的自衛権の行使に当たるからだめだと言えるだろうかと思うのです。私は、自民党ですし委員長ですから意見も言えません。答弁者は、外務大臣であり防衛庁長官であり、また当時は官僚諸君がまだ第一線で答弁しておりましたが、同士討ちというわけには行かないので黙って聞いておりました。これこそ、詭弁中の詭弁だなと思わざるを得なかったわけであります。確かに、集団的自衛権の行使というのは、自国の領域が侵犯されていないにも関わらず、また自国が攻撃を受けていないにも関わらず、同盟国が攻撃を受けた時に共に対処するということであります。確かに、自国が攻撃を受けていないにもかかわらずと、こうなっておりますが、しかしそれが日本の平和と安全に重大な影響を与える周辺事態、これは確かに直接攻撃を受けていないという範疇に入るかもしれないが、その時にも、それは憲法9条で予定してあるという必要最小限度の実力の行使を越える事をやってはならないということに、はたして該当するのだろうかと思われます。  
 
 現行憲法の解釈でも、集団的自衛権の行使は少なくともいわゆる「周辺事態」においては、必要最小限度の実力の行使として認められていいのではないかと思います。そういう点がいまの憲法解釈で全然難しいことになって実行できないというところを、米国のアーミテージ氏その他がレポートで「日本が集団的自衛権の行使を禁止していることは、日米の協力を制限している。」と指摘しているわけであり、私はその通りだと思います。幅広く集団的自衛権を行使しろといっているわけではなく、少なくとも「周辺事態」においては集団的自衛権の行使をやってもいいではないか、後方支援と後方地域支援という国会答弁のためのわけの分からない整理をするのではなくて、現実に照らした有効な整理をすべきであるということを多分言っておられると思うのであります。私は、この指摘は正しいことであるし、その点でわが国が柔軟な対応をして日米同盟関係の基礎をあらためて確認し、さらに、そのことがこのアジア太平洋地域における平和と安全の担保につながるようにすべきだと思います。日本が一層協力できるという態勢をとるということの方が、この地域の平和と安全に大きな貢献をすると考えるのであります。  
 
 そこで、集団的自衛権の行使を現行憲法の解釈によってさらに拡大をしていくということは、一応私は考えられる道だとは思うのです。これは、内閣法制局が、個別的自衛権ならびに集団的自衛権というのは主権国家固有の権利であるということを認めつつ、しかも、国連憲章にも日米安保条約にもそのことが書いてあると言いながら、しかし憲法9条の予定している自衛の限界を超えているからできないと言っておるからであります。憲法解釈からそういう権利はあるが実行しないということは、政策論の中に踏み出しているのであって、法制局が政策論を述べるというのは僭越だという意見、これは小沢さんがよく言う意見でありますが、それは私もよくわかります。しかし、類似の拡大解釈を重ねていくということは、日本国憲法の権威を非常に損なうものである。傷つけるものである、憲法の重心を軽くするものである、そのように私は考えるので、やはり憲法を改正すべきである、拡大解釈の積み重ねはよくないと思うわけであります。もちろん、憲法の改正論というのは、憲法9条だけではありません。自由党の原案の中にもいくつも書いてありまして、安全保障のほかに、前文、天皇制、国民の権利と義務、立法権、行政権、司法権、地方自治、財政あるいは教育、文化、環境、社会保障、改正手続きという12章にわたりまして新しい憲法草案を基本方針という名で出しています。  
 
 私が属しております近未来政治研究会におきましても、2001年5月3日の憲法記念日までに、憲法改正思案を世に問うべく出すつもりにしております。その場合、やはり同じようなジャンルで、試案を作成していくということになると思います。いま鋭意議論を積み重ねておりまして、一番先に結論を出したいのは、首相公選の問題であり、首相公選に踏み切るか、やはり議院内閣制を守っていくべきか、どちらかの結論を早々に得たいと思っております。しかし、私の最大の関心は憲法9条にありますし、9条の改正を伴わないような憲法改正は、むしろやってはいけないのではないか、国際社会の信用を失うのではないか、日米同盟関係を損なうのではないかと、そういう危機感を持つわけであります。憲法9条の改正を後回しにして、できることから、要するに3分の2の多数を得やすい分野から、たとえば環境権の設定などからまずやっていこうという議論があります。いまの憲法調査会の主力メンバーにも、そういうお考えがかなり根強くあるのですが、私は、憲法9条問題をさておいて憲法改正をするということは、画竜点睛を欠く最大の問題ではないかと考え、あくまでもその点に固執してまいりたいと考えておるのであります。  
 
 そこで、我が方の案ですが、これはまだ同志の共鳴を完全に得ていない、議論の最中でありますけれども、私は憲法9条(何条になるか分かりませんが)を仮に書き換えるとすれば、次の三点に基づいて整理したいと思っております。  
 
   第一に、平和主義の原則を明確にする。  
   第二に、軍隊の設置、指揮命令権、文民統制等軍隊のコントロールに関する規定を明確にした            い。  
    第三に、戦争状態の宣言とそれに伴う有事の制度等統治機構に関連する部分を明確にしたい。  
 
そのように考えておるわけであります。  
 
 たとえばこれを条文にいたしますと、ちょっと読み上げて恐縮でありますが、これが9条になるのかその前の条文の数によって違いますけれども、仮に第9条(安全保障)とした場合、  
 
○ 第1項は、現行規定を尊重いたしまして、そのまま「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」とします。  
 
○ 第2項は、「日本国の平和と独立を守り、国の安全を保つとともに、国際平和の実現に協力するため、内閣総理大臣の最高指揮権の下、軍を置く。」とします。「・・陸・海・空軍を置く。」のほうがいいと思いますけれども、そういう条文にしたい。  
 
○ 第3項といたしまして、「非常事態の宣言は、期限を定めて内閣総理大臣が行う。ただし、10日以内に国会の承認が得られなければ、効力を失う。」というものであります。  
 
 ただいま原案をご提示したばかりでありますので、これからもう少し議論を詰めまして、9条の改正もただいまのラインで行いたいということを申し上げておきたいと思うのであります。  
 
 ちょっと賢い話ばかりで恐縮でしたが、最初の政局論に戻りたいと思います。我々は、20世紀後半における経済大国への道を担ってきた自由民主党の役割というものが、後世において歴史的な評価を得られると確信いたしております。しかし、1990年の冷戦構造の崩壊と同時に起こりましたバブル経済の崩壊、その後の政治経済の低迷状況あるいは社会不安等、この10年間の祖国日本の混迷状況を見まして、21世紀の展望が開かれていないということを痛感いたします。また、憲法の見直しにつきましても、まだ合意が得られていないし、まだ案もできていないというありさまです。そういうことで21世紀の国家目標定まらず、あるいは新しいアイデンティティというものが明確でないことからしますと、どうやら自民党の役割を終えたのではないかという声が国民の間に澎湃としてありますし、潜在意識の中にはとりわけあると思われます。もちろん、今の日本の秩序を構成しているいろいろな組織の責任者、エスタブリッシュメントからしますと、どうしても既存の秩序を守りたいという意識が働きます。それは、長年努力してまいりました自民党体制の下で守りたいという意識でもあると思うわけで、私もその一員であります。  
 
 しかし、政治は民主主義でありますから、また民主主義は国民主権でありますし、主権者が決定すべき事柄でありまして、その主権者の意識あるいは潜在意識の中に、どうやら自民党がその役割を終えて新しい政党に台頭してもらわないと、活力ある明るい展望を持った日本の将来はないのではないかという世論の風を、私はひしひしと感じてまいっておるわけであります。ここで自民党は解党的出直しをするか、あるいは新しい政党が日本の国を担っていくということになるのか、どちらかの選択を迫られているという危機感を持っておりまして、その危機感が根底にあってあの行動を起こしたわけであります。もちろん、主役は加藤さんであり、私はその行動に同調したのであります。しかし、それはいったん挫折をしたというこということも事実でありますし、挫折をしたからそれでいいということではないわけで、やはりその危機感は、有権者とともに日本の政治家が与野党を問わず持つべき危機感であるというように考えるのであります。  
 
さらに、もうひとつ言わせてもらえれば、中曽根政権時代の1985年でありますが、私が中曽根発訪米の際にお供をいたしたときのことであります。その頃、アメリカはちょうど今の日本のように最も衰弱の兆しが強かった時期で、国力の低下が内外から指摘され、有名な三つの赤字、つまり財政の赤字、家計の赤字、国際収支の赤字を持てあまして、失業者は巷にあふれ、犯罪も横行するという惨めな社会の実態が外からも目に見えて分かった時でもありました。そのさなかに当時の中曽根総理がワシントンのキャピトルヒルに出掛けて、上下両院議員を前に大演説をされたわけであります。  
 
 どういうことを言われたかというと、自分(中曽根総理)は東大の学生時代に、もちろん戦前であるが、矢部貞治教授にゼミで教わったことがある。それは、「アメリカという国はすごい可能性を持った国であって、そのアメリカの活力というのは、三つの理念に基づくものである。一つはフロンティアスピリットであり、二つはイノベーション(技術革新)スピリットであり、三つはピューリタニズム(清教徒主義)である。」ということを教わったと。しかし、現在のアメリカは経済の成長がストップし、フロンティアスピリットもイノベーションスピリットもどこに行ったのか、一方、巷には犯罪があふれ、ピューリタニズムは一体どこに行ったのだ、という大演説をされました。そばに座っておりました安倍晋太郎外務大臣と私は真っ青になったのであります。アメリカの国民代表たちに向かってこのような国辱を指摘するような話をやってもいいのかと、私は身がすくむ思いをいたしました。その時です。アメリカ国民の代表たちは、万雷の拍手をもってその演説に応えたのです。それは、まさに万雷の拍手でした。鳴り止まなかった。自分たちの欠点を衝かれても悪びれず、いかに率直さを好む国民であるかということに、私は感動したのであります。  
 
 そっくりそのままのことが、いまの日本にいえるのではないかと思います。20世紀後半の日本で、経済大国をばく進した技術革新の力、世界中にフロンティアを求めて貿易立国として七つの海を走り回った日本の商船、そして高い教育水準やあるいはまた世界一の治安といったものが一体どこに行ったんだということを言われた時に、返す言葉がないではないかと感ずるわけです。これはまさに我々政治家の責任であるということを、深く反省いたす次第であります。  
 
 1985年当時、大変勢いのよい日本が、アメリカの市場を中心に世界の市場を席捲している経済力の実態があったわけであります。アメリカのハイウェイを通った際に、DON’T BUY JAPANEASE CAR というステッカーをつけた車が走っておりましたが、その車がトヨタであり日産だったのでありまして、アメリカの自動車の販売台数の中で25%が日本の自動車だといわれた時代であったわけであります。日本の発展の力はどこからきているのかということで、ワシントンのシンクタンクで議論をした時に、日米の参加者の結論というのは、それは日本が持っているアイデンティティの力であり、一億、一言語、一民族、一国家の日本国の独自性であり、日本国民が共通に持っている国に対する誇りと帰属意識であり、それが今日の日本の国力の増進につながっているのだというものでした。多民族国家アメリカは非常にバラバラの状態でアイデンティティに欠ける、共同体の絆であったキリスト教の力が衰えているのではないか、という話もありました。日本はこれから多民族国家になっていくのでありますが、そういうことが実は結論だったわけであります。ところが、その多民族国家アメリカが強固な結束力を持ちまして、まさに軍事的にも経済的にも超越した大国として、言葉は悪いのですが、今日世界に君臨しているという状況になってきて、日本は相対的に地盤沈下を重ねているということではないかと思います。ですから、もう一度日本の国民が、アイデンティティを取り戻すということが必要だと思いますし、アイデンティティは国家に対する国民の帰属意識でありますから、今のように国家意識を否定するような風潮が強いと元も子もないと私は考えます。  
 
 国家という存在は少なくとも21世紀においてはなくてはならないと思います。昨今の議論を聞いていると、国家というものはなくなってしまうような、また国民という言葉を使いたくないような考え方がありますし、特に、民主党の指導者は、“国民”にかえて“市民”という言葉を使おうではないかと提案するのですが、はたして日本国憲法に市民という言葉は使えるでしょうか。日本国憲法は国家と国民の関係、それからもちろん国家と国際社会との関係を律するものでありますが、国家であっての国民であって、市民のための国民ではなくて、市民というのは世界市民という概念でございますから、したがって国家という枠組みを取り払った話で、そういうことは現実的ではありません。我々はやはり政治を行うにあたりまして、国際的な利益との調和、国際社会との関係を十分考慮しながらなおかつ国益を守るということについて、政治が責任を持つということでなければならないと思います。その視点がすごく欠けているのが、外交を見ていてもわかるわけです。朝鮮半島外交を見ておっても対中外交を見ておっても、国益を我々が大切にするという思念が、非常に欠けているというふうに私は考えるのであります。  
 
 そういうことも全て含みまして、一身上の弁明でありますが、新しい政治をどうしても切り開く必要があるという観点からの行動であったと申し上げる次第です。しかし、これは挫折したかのように見えるのでありますが、そういう私の理想といいますか政治に対する意欲というのは、いささかも衰えるものではないということを申し上げ、今後一層のご指導ご鞭撻をお願いいたしまして終わりにしたいと思います。ご清聴ありがとうございました。  
 
(平成12年12月19日 グランドヒル市ヶ谷にて)  
 
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