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VOICE OF TAKU山崎拓の主張
北東アジアの平和と繁栄に寄与する日韓両国の役割
韓国国立慶尚大学校「行政学名誉博士号」授与式での講演内容
 光輝ある大韓民国国立慶尚大学校の講堂において、尊敬する趙武済総長閣下、尊敬する教授陣の皆様、そして大韓民国の未来を担う若き俊秀の皆さんの前で、講演する機会を与えていただきましたことを心から感謝申し上げます。  
 
 私は、1936年に中国の大連で生まれ、日韓の国交回復後間もない1967年以降、政治家として、「日本はアジア諸国との緊密な信頼関係に根ざした国際社会での立場を確立すべき」という信念のもと、アジアの平和と繁栄のために微力ながら粉骨砕身頑張ってきました。  
 
 今回、慶尚大学校から「行政学名誉博士号」を頂戴したのも、そういったことが評価いただけたものと考えています。  
 
 私が初めて貴国を訪れましたのは、1965年私が28才の時のことであり、日本青年会議所の一員として、貴国の釜山青年会議所、ソウル青年会議所の皆さんとの交流が目的でありました。  
 
 当時の貴国には1950年の朝鮮戦争の爪跡が深く残っており、朴正熙政権下、「DMZ」(休戦ライン)の緊張度は極めて深刻でありました。  
 
 一方、当時の日本は、国全体が急激な経済発展に浮かれており、米ソ両超大国の対立という冷戦構造下、日米安保体制への依存心が強く、「平和ボケ」とも言われる危機感のなさが貴国の為政者からも批判される状態でありました。  
 
 そのように安全保障に関する両国の国民感覚の差が歴然としていたことを鮮明に記憶しております。  
 
 今や世界第11位のGDPを誇る韓国経済も、当時は巨額の軍事費の負担のために、鉄や電力といった基幹産業の整備もままならない状態で、後に「漢江の奇跡」と言われた経済発展が始まったばかりでした。  
 
 1965年という時期は、ちょうど日韓国交正常化が行われ、日韓両国が第二次世界大戦前からのいわゆる歴史問題を引きずりながらも、経済関係中心に結びつきを深めていく初期の段階でありました。  
 
 以来約40年、私は貴国を訪れること十数回に及び、廬泰愚・金泳三・金大中・盧武鉉・歴代大統領と、直接お目にかかる光栄に浴して参りました。  
 
 特に三金時代と言われてきた金泳三・金大中・金鐘泌三人の貴国の代表的政治指導者には何度もお目にかかり、私なりに日韓両国の緊密な相互信頼、相互発展の必要性を訴えてきたつもりです。  
 
 私は昨年、盧武鉉大統領が就任される直前に日本与党3党幹事長で訪韓し、大統領にお目に掛かることが出来ましたが、その際大統領は“これからは韓・中・日連携の時代だ”と言われました。  
 
 しかし私は“やはり基軸は日米韓連携である”と主張しました。つまり縦軸として引き続き安全保障問題は日米韓連携で、横軸として経済関係で日中韓の連携を強化すべきだと論じたわけです。  
 
 以下、私は、前半では安全保障問題、後半では経済問題を中心にして、日韓両国が国際社会において、どういう役回りを期待されているかを、これまで責任を負ってきた日本の政治家の一人として申し述べたいと思います。  
 
 
 
 さて、泥沼化しつつあるイラク情勢をはじめとして、国際情勢は依然として混沌としておりますが、現在の貴国の政治状況について、隣国・日本の政治家がどのように見ているか、について述べたいと思います。  
 
 先月(4月15日)国会議員選挙が行われ、盧武鉉政権の下で少数与党に過ぎなかったウリ党が152議席を獲得し議席の過半数を占める大躍進を果たしました。  
 
 もちろんハンナラ党も善戦し、121議席を確保し一応の均衡を保つことになりましたが、民主労働党が初めて10議席を占めたことのインパクトも非常に大きいと言われています。  
 
 この結果を貴国の有力新聞である朝鮮日報は、社説で「数十年に及ぶ保守政党の国会支配がこれで終わり、韓国の政治地形の根本的な変化を予告している」と論じています。  
 
 この総選挙の結果を見て注目すべきことは、与野党の逆転と共に世代交代が急速に進行したことです。当選者中70%が新人であり、民族主義世代及びハングル世代と呼ばれる30代から50代の議員が、全体の84%、299人中250人に及んでいるという事実が如実に物語っています。  
 
 若い力の台頭に民族のエネルギーの奔流を予感しますが、同時にそのことが半島の南北関係にどのような影響を及ぼすのかが国際的な関心事でもあります。  
 
 隣国日本も、この選挙結果を受けて、盧武鉉政権がどんな政策を遂行していくのかに関心があります。とりわけ朝鮮民主主義人民共和国(以下北朝鮮と呼びます)が核開発を続ける中、盧武鉉政権がこれ迄以上に太陽政策を推進していくのではないかと注目しています。  
 
 5月22日、小泉首相が2度目の平壌訪問をし、首脳会談の結果、懸案の核問題・拉致問題で一定の前進があり、日朝国交正常化交渉の再開を約しました。そのベースとなっているのが、2002年9月17日に、小泉首相が金正日総書記との歴史的平壌首脳会談を行い、発出した「平壌宣言」です。これは両首脳が署名しており、国交正常化に向けての基本的合意文書です。  
 
 その中で、日朝両国は北東アジア地域の平和と安定を維持強化するため、互いに協力することを確認し、この地域の信頼醸成を図るための枠組みを整備していくこと、つまり六者協議のような枠組みをつくることに合意しました。  
 
 また、朝鮮半島の核問題の包括的な解決のため、関連するすべての国際的合意を遵守すること、つまり、NPT条約の遵守、IAEA査察の受け入れ等核廃棄の保証が行われた上で国交正常化を行い、日本は北朝鮮に対し、経済協力を行うことを宣言しました。  
 
 私は、1985年7月、中曽根首相のお供をしてボンサミットに出席しました。私は当時、内閣官房副長官として日本代表団のスポークスマンを務めていました。その折に開かれたバイの日米首脳会談で、中曽根首相がレーガン大統領に“南北タスキがけ承認”を提案しました。つまり、韓国が中国とソ連を、北朝鮮が米国と日本を、というクロス承認案です。  
 
 韓国のほうは1990年にソ連と、1992年に中国との間で国交樹立が実現しましたが、北朝鮮のほうは今日に至るも未だ日米両国との国交を樹立しておりません。現在の六カ国協議は、このような状況の中から出来した、東アジアの平和と安定のための新しい国際的枠組みなのです。  
 
 ウリ党は、北朝鮮の核問題は六カ国協議を通じて解決すると公約しましたが、私もそれ以外にはないと思います。  
 
 日本は米国と共に、北朝鮮の「完全で検証可能かつ後戻りできない核放棄」を求めています。そして、日米両国は双方が協力して、核の完全廃棄と拉致問題解決に向け「対話と圧力」路線を続ける方針を確認しています。  
 
 廬泰愚大統領時代に非核化宣言をした韓国と、1967年以来「非核三原則」を堅持している日本の両国政府は、朝鮮半島の非核化を確保することが日韓双方の安全保障上も至上命題であり、絶対に必要な共通の利益であると考えております。  
 
 また、誤解を恐れずに言えば、核問題の解決に係る日米韓三国の一枚岩の協力関係は、わが国の一部にある核武装論の台頭を封じこめる上からも、重要な要素であることを申し上げておきたいと存じます。  
 
 日本とアメリカは、北朝鮮による核の完全廃棄と拉致問題解決の実現が北東アジアの平和と安定に必須のものだと信じています。日米は盧武鉉政権の共同歩調を信じていますし、重ねて申し上げているように、北東アジアの平和と繁栄は日米韓一体の連携プレーがなければ実現しないのです。  
 
 北朝鮮が、国際社会の求めている核不拡散政策に協力してくれれば、国際社会は必ず経済支援を実行に移すはずです。  
 
 いまや世界有数の経済大国となった日本と韓国にとって、北東アジア地域の平和と安定が何より重要であることは論を待ちません。特に、核についての懸念が増幅すれば、海外資本は北東アジアへの投資や貿易を躊躇し、この地域の経済発展の阻害要因となることが考えられます。  
 
 もし、韓国の親北朝鮮政策への傾斜が過度に進むということになれば、現在は国交がない日米と貴国の間にずれが生じ、現在は軍事独裁国家である北朝鮮の暴走を阻止するために不可欠な日米韓三国の連携にひびが入りかねない、との懸念が日米両国に出ていることを率直に申し上げておきたいと存じます。  
 
 
 
 次に北東アジアの経済発展について考察してみたいと思います。  
 
 EUの出現とその後の拡大に見られるように、世界各地域において急速に大規模な経済共同体が形成されつつあります。  
 
 大統領は「北東アジア時代の到来」と題する就任演説のなかで「北東アジアに繁栄と平和の共同体を作り、世界の繁栄に寄与する」という大きな目標を掲げられました。私もこの北東アジア経済共同体構想の考えに大いに共鳴いたします。  
 
 北東アジアの先進国である日韓両国が、それぞれの持ち味を生かしあいながら補完・協力し、中国の巨大な市場と資源、豊富な人材に支えられた強力な成長力と連携して、アジア地域全体の発展へ向けて、しっかり協力していかねばなりません。  
 
 日本は天然資源がほとんどなく人件費を含む物価水準の高いので、工業製品の生産拠点というよりも人間資源つまり頭脳の開発に特化せざるをえません。国として「科学技術創造立国」を唱えている所以もそこにあります。特に新エネルギー、IT、環境、バイオ、ナノテロノロジー等の分野で世界最先端を行くべく政府予算も重点配分しています。  
 
 一方、韓国は、造船、鉄鋼、デジタル家電、ITといった現代の基幹産業において、既に世界的競争力を有しています。加えて当慶尚大学が世界有数の科学者を輩出しておられ、韓国の科学技術研究部門の一大拠点となっているとお聞きし、基礎・応用研究から実際の生産ラインまでを連携させていく貴国の状況に敬意を表するところです。  
 
 私はまず、日韓両国がFTA(自由貿易協定)に向けて互いに協調しあうことが必要だと考えております。  
 
 日韓両国だけで、実に人口1億7千万人、GDP4・7兆ドルの巨大な経済圏を出現させることができます。  
 
 また、日韓FTAの成立は、両国の企業だけではなく、欧米をはじめとする諸外国の多国籍企業にとっても、両国市場の魅力を増大させることになり、海外からの投資を増大させる効果が期待できるものです。  
 
 
 
 大統領の就任スピーチのなかにあったように、「韓半島は中国と日本、大陸と海洋を連結する橋」であります。科学技術の開発と生産への応用、そして、実際の生産拠点と消費マーケットという各特性を生かすためにも、日韓中を連結する必要があり、その要にある韓国の役割は極めて重大です。  
 
 昨年(2003年)11月18日にバンコックで開かれたESCAP(国連アジア太平洋経済社会委員会)の政府間会合で「アジアハイウェイ・ネットワークに関する政府間協定」が採択されました。そして今年(2004年)4月26日第60回ESCAP総会で関係32ヶ国中23ヶ国により調印式が開催されました。  
 
 計画全体としては、32ヶ国、55路線、延長約14万Kmに及びますが、その内「AH1」(アジアハイウェイ1号線)は、日本の東京を基点に私の郷里である福岡と韓国の釜山をフェリーで経てさらにソウルから平壌・北京・バンコクなどを経由しつつ全部で14カ国を通過して、最終地点はトルコのイスタンブールです。  
 
 北東アジア経済共同体構想を具体化するためには、先に述べたように二国間及び多国間のEPA、FTAの推進が基本軸となりますが、このハイウェイ構想は国際空港・国際港湾・高速鉄道と並んで最も重要な物流インフラを形成することになるでしょう。  
 
 この構想が実現すれば、まして北部九州から釜山間の海底トンネルが実現するようになれば、まず日韓経済関係はますます緊密化しますし、とりわけ日本の北部九州地域と貴大学校至近の韓国の釜山地域との広域経済圏構想の具体化を進めることになるでしょう。  
 
 まさに北東アジア経済共同体構想の中核となる使命が、日韓なかんずく韓国南部と北部九州には課せられていると考えます。  
 
 慶尚南道では「釜山・鎮海経済自由区域」が設定されていますが、北部九州では、構造特区として福岡市の「アジア経済交流センター特区」や北九州市の「国際物流特区」が設定されています。私はこの両者を結びつけ、両国の科学技術を集積し、ITと最先端物流機能を活用した「日韓共同特区」の設定を提案いたします。  
 
 
 
 今、アジアでは韓国文化が「韓流」と呼ばれて席捲しており、日本においても韓国の映画・テレビドラマが大人気で「秋の童話」や「冬のソナタ」が大ヒットしています。  
 
 「近くて遠い国」と言われてきた日韓両国ですが、言うまでもなく経済的関係は緊密で、日本は韓国にとって輸入相手国として、2000年以降継続して第1位となっています。社会文化的にも1998年に金大中大統領が「日本大衆文化の段階的開放方針」を発表して以来、活発な人的・文化的交流が加速されました。今では日韓の間に、経済や観光・文化交流を含めて毎日1万人の人的往来があるのです。  
 
 文字通り一衣帯水の隣国としての真の信頼関係を築く時が訪れつつあるように思います。  
 
 歴史的事実として、約100年前に旧体制の日本は、帝国主義的膨張から朝鮮半島を植民地としました。また、韓国の独立後も日韓の間には、あたかも喉もとに突き刺さったトゲのように「歴史問題」が存在していたことも事実です。  
 
 1998年10月に金大中大統領が日本を公式訪問されましたが、その際小渕総理との間で日韓共同宣言が合意されました。そこでは、「植民地支配により多大の損害と苦痛を与えた」という事実を認定し、小渕総理は「痛切な反省と心からのおわび」を表明しました。私も故小渕総理と同世代の政治家の一人として、同じ気持ちであることを、この機会に表明致します。  
 
 20世紀の後半にわたって日韓双方における未来志向の努力の積み重ねにより、多くの問題が解決を見ました。特に20世紀から21世紀への橋渡し役として、1998年に就任した金大中大統領による日韓の交流推進政策は、多方面に渡る日韓の相互協力関係を築いてきたことは、先に述べた通りです。  
 
 冒頭述べた韓国における政治的リーダーの方々も、私自身も20世紀から21世紀への橋渡し役であり、真のパートナーシップを構築するため過去の問題を一つ一つ乗り越えながら、基礎固めをして来たのであります。  
 
 21世紀という新しい時代は、まさに若い皆さんの時代であります。先達者の築き上げた経済・政治・文化・安全保障、各方面にわたる基盤に立って、新しい日韓関係、日韓双方のしっかりとしたパートナーシップの下に、アジアの平和と安定、そして繁栄を構築していかなければなりません。  
 
 韓国国民と日本国民が「未来志向」で高いレベルの「共生」を拡充し、この新しい世紀の100年、更には新しいミレニアムの1000年を見据えて新たな日韓関係を作り上げていくことを心から期待し、皆さんのご理解とご協力をお願いして、私の講演を終わります。  
 
 ご静聴ありがとうございました。  
 
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