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VOICE OF TAKU山崎拓の主張
今なぜ憲法改正か
自民党憲法調査会における講演録
自民党憲法調査会講演録「今何故憲法改正か」  
日時:2004年2月18日17:00〜18:45  
場所:自民党本部リバティ2,3  
 
 憲法調査会の講師の役割を今日はお与え頂きまして大変光栄に存じます。日頃から憲法改正問題につきまして考えをまとめて参りましたことを皆様方にお話申し上げましてご批判を仰ぎたいと思います。お手元にお配りを致しましたレジュメにしたがいまして、話を進めさせて頂きます。  
 
〈憲法改正の気運〉  
まず憲法改正の気運が大変盛り上がって参りましたが、これはまず第一に、中山太郎先生、保岡興治先生をはじめとしまして、衆参の憲法調査会におきまして、数年に亘りまして超党派的なご議論を積み重ねるご努力を頂きましたことが大きく影響しておりまして、このような政治的なご功績を高く評価したいと思います。それから第二に、立党50周年、来年の11月15日を期しまして自民党の憲法改正案をまとめるという手はずがなっているわけでございます。それは私が昨年の8月幹事長として、総裁選に臨まれる小泉総理に対し、総裁として国家基本問題でリーダーシップを発揮されるためには、立党50周年を期してわが党の憲法改正の案をまとめるよう指示されたらどうかという話し合いを行いまして、直ちにその指示が出されました経緯でございます。そこで立党時の理念をこの際改めて繙きたいと思います。わが党の立党は昭和30年11月15日であることはご案内のとおりでございまして、この昭和30年は1955年でございますが、旧社会党も左右両派が合体致しまして日本社会党になりました年で、ここに55年体制がスタートしたわけでございます。その時に、お配りした資料で『党の使命』という文書の中から部分的に抜粋しておりますけれども、『占領下強調された民主主義、自由主義は新しい日本の指導理念として尊重し擁護すべきであるが、初期の占領政策の方向が、主としてわが国の弱体化に置かれていたため、憲法を始め教育制度その他の諸制度の改革に当り、不当に国家観念と愛国心を抑圧し、また国権を過度に分裂弱化させたものが少なくない』と、このように書かれておりまして、さらに後段でございますが、『第六』のところで、『現行(・・)憲法(・・)の(・)自主的(・・・)改正(・・)を始めとする独立体制の整備を強力に実行し』と、党の使命の6つの項目のひとつに挙がっているわけでございます。さらに同時に発表されました党の政綱でございますが、ここに同じく6つの項目がございますが、『国民道義の確立と教育の改革』『政官界の刷新』『経済自立の達成』『福祉社会の建設』『平和外交の積極的展開』『独立体制の整備』。この『独立体制の整備』のところの文言をここに記載いたしましたが、『平和主義、民主主義及び基本的人権尊重の原則を堅持しつつ、現行(・・)憲法(・・)の(・)自主的(・・・)改正(・・)をはかり、また占領諸法制を再検討云々』となっておりまして、ここに明確にありますように、憲法改正は立党の精神であったということでございます。この立党の精神を体し諸々の党活動を行って、既に半世紀に亘るわけでございますが、ここでこの立党の精神に立ち返ってわが党の憲法改正案を作成してはどうかという話し合いを小泉総理と当時の幹事長としてさせて頂いた次第でございます。  
 第三に、最近の各党の動向はここにおられます中山先生、保岡先生らが最も詳しいわけでございますけれども、私から申し上げますと有力政党がそれぞれ憲法改正に真剣に取り組みを開始したところでございまして、わが党は来年の11月15日までと致しておりますが、民主党はその翌年には民主党案をとりまとめて世に問いたいと言っておられます。公明党も又今までは論憲、加憲という立場をとっておられましたが、敢えて憲法改正案をまとめるという方向に大きく踏み出されたわけでございます。昨日私が冬柴幹事長とお会いする機会がございましたが、冬柴幹事長も昨日はもちろん個人的な雑談の中でございますが、「自分も一歩踏み出して憲法改正問題に取り組みたい」と、決してネガティブなスタンスではないということをおっしゃいました。そういうことで、各政党中社民、共産はもちろん反対でございますが、大政党の自・公・民3党は、憲法改正の方向で大きく作業の取り組みを開始したというところです。そういう次第で近い将来に超党派で憲法改正案をまとめ得るということは視野に入れて良いと思っております。第四に、既に従前から世論は、憲法改正に対する支持はかなり高かったわけですが、9条をめぐりましても、最近では改正派の方が各種世論調査では支持が不支持を上回っている状況でございます。従って憲法改正には世論の風向きがあると、そのように受け止めてよろしいのではないかと思います。  
 
〈小泉総理がイラク自衛隊派遣の名分に憲法前文引用〉  
そこで、今度の国会でイラク問題は争点の一つでもあり、同時に活発な憲法論議を呼んでいるところですが、とりわけ小泉総理が憲法前文を引用して、今回のイラク自衛隊派遣の意義につきまして、国民に対して説明責任を果たされようとした事情はご存知のとおりでございます。      
そこで憲法前文をお配りいたしましたが、その中で小泉総理が引用されました部分ですが、これを読み上げたいと思います。これは4つのブロックに分かれておりますが、第2ブロックの後段でございますが、『われらは平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。われらは、いずれの国家も自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる。』この部分を引用されましたわけでございます。確かにこの文言のなかで、例えば『全世界の国民が、ひとしく云々』と書いてありますが、この『全世界の国民』を『イラクの国民』に置き換えますと、『イラクの国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する』と。その次の『いずれの国家も自国のことのみに専念して他国を無視してはならない』の『自国』をわが国に置き換えまして『わが国のことのみに専念して』、『他国』を『イラク』に置き換えますと『イラクを無視してはならない』。或いは『イラクの国民』でもよろしいですが、『無視してはならない』のであって、そういう風に読み替えますと、この引用は誠に適切であるということになりますが、これは憲法制定時にできました前文の趣旨から申しますと、いわば解釈改憲であるというふうに私があえて申し上げたいと思うわけです。総理の引用は、言葉だけを読めば正しい。今回のイラク自衛隊派遣のケースに極めて適切に引用できる部分でありますが、制定時の趣旨とは違います。このように解釈改憲を積み重ねていくことについて私は基本的に反対でございますので、どうしても憲法改正の必要がある。なぜならば憲法は国家の最高法規である、基本法でございますので、この最高法規の解釈が時の政府によって揺らいでいくということは、法治国家と致しましては、国家体制の基礎を揺るがせにすることと同じであると、そのように私は考えるのであります。以前から憲法解釈を積み重ねるということは好ましくないと主張して参りましたが、これは後ほど詳しく申し上げますけれども、集団的自衛権の解釈問題もこの考え方が当てはまると、そう考えているわけでございます。そこで元来この憲法前文がどういう意味であったかということでございますが、『われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭』と、このように書いてありますが、この部分はいわゆる世界各国に先駆けて平和主義に徹することによって『名誉ある地位』を占めるべしというのが、本来の意味であるということは、もともと定説になっているわけでございます。平和主義に徹するということについて、いわゆる積極的平和主義も容認されていると総理はおとりになりましたが、積極的平和主義というのは、元来「平和を破壊し侵略を企てる恐れのある国家に対しては、敢然として武器をとることを辞さない」というのがいわゆる積極的平和主義の定義でございます。武器をとるという表現は行き過ぎかも知れませんが、総理はどちらかというとこの積極的平和主義の意味合いでこの部分を引用された。しかし元来の解釈としては、むしろ一国平和主義的な、消極的平和主義がここに書かれてあるとされている。決して他国を侵略しない、武力行使をしない、そのことを通じて名誉ある地位を占めるというのが、本来制定当時の考え方であるし、現行憲法は元をただせばGHQの起草によるものであることは夙に知られています。GHQには戦前の日本の軍国主義の牙を抜くという狙いがあったことは理の当然です。  
 
〈教育基本法と憲法の関係について〉  
このように憲法前文の全文を通じまして、種々今の時代にマッチしない点が多々でてくるわけでございます。前文は教育基本法にも引用されておりますし、これが国のかたちを表すものでありますから、非常に重要な部分でございますし、当時つまり日本が独立を失っている時点で定められました国のかたちということを考えました場合に、この憲法前文が今でも権威をもっているということには抵抗を感じざるを得ないわけでございます。そういうところから教育基本法の改正の必要性が叫ばれていると思いますが、現行教育基本法自体が、その前文の中に2箇所でてくると思いますけれども、現行憲法の理念に基づいて新しい日本の教育の基本を確立するということを明確に謳っています。仮に、教育基本法と憲法のリンケージを残すとすれば、それは現行憲法をまず変えないと教育基本法の改正は出来ない。全く憲法と切り離して教育基本法を作るならばいいですけれども、その点が最も基本的な問題点ではないかと、私は日頃から考えているものでございます。そこで憲法前文の書き出しのところで、『日本国民は正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し』と書いてありますので、私も長い間、この『正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し』と、これは議会制民主主義を表したものであるというふうに理解をしておりましたが、衆議院の憲法調査会で勉強させて頂きました結果、これはこの3行目の終わりの『この憲法を確定する』につながっているということが分かった。つまり『正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し』『この憲法を確定する』と。すなわちこの憲法の制定権者が国民であることを強調している。昭和21年の11月3日に公布されましたこの憲法は、いわゆる制定権者は国民であり、ちゃんとした民主的な手続きによって制定されたものであるということを、ここに強調したわけで、俗に言う占領憲法と言われるような決して強権的に押しつけたものではないということをここで説明したもののようです。従って前文の出だしの文言は必ずしも議会制民主主義の導入を表したものではないということ、つまりこれはその当時の憲法ができました由来を書いてあるのでございますから、今度の改正憲法は、この部分は不要ということになります。  
その次に2行目に、『政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し』とありますが、『政府』という言葉がこの憲法を通じまして出てくるのはこの1箇所だけでございます。この『政府』というのは何かといいますと、第2次世界大戦以前の大日本帝国政府であります。大日本帝国政府の行為によって、第2次世界大戦に突入し、それ以前の日清、日露戦争も含まれているかもしれませんが、それらの戦争の歴史的評価は別に致しまして、その結果戦争の惨禍が内外にもたらされたものであるという過去の反省がここに書いてあるわけでございまして、現在の小泉政府とか、或いは今後の政府の行為によって『再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し』という意味で書かれているわけではありません。ところが民主党の一部の人は、イラク自衛隊派遣の問題にこの部分を引用したわけで、ここにいう政府は小泉政府のことを指すとして、小泉政府がイラクに自衛隊を送って、国民が戦争の惨禍に巻き込まれるようになるというふうに説明したわけでございます。前文の引用がそれくらい極端に違っているのでございまして、引用する前文の部分も違うし解釈のやり方も全然違って国会で議論されておるのを私はテレビで拝見しまして、いささか憮然と致しておるような次第でございます。つまり、現行憲法の前文には国民の誤解を招くような問題点がもともと存在しているということでもございます。  
 
〈GHQのスタッフが書いたもの〉  
それから、この憲法前文はやはりGHQのスタッフが書いただけありまして、英米の思想というものが随分と入っているのです。例えば第1ブロックの4行目、後段ですが『その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する』と書いてありますが、これは1863年のリンカーンの有名なデモクラシー宣言でございます。『人民の人民による人民のための政治』がここに書いてある。そのまま写し変えているということです。確かに著名な政治指導者の立派な哲学、民主主義の哲学の言葉ではあるけれども、そのまま日本国憲法の前文に引用することの是非の議論は必ずでてくると思います。さらに第2ブロックの真ん中ですが、『平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う』。これは先ほど読み上げたところでございます。この文言はどこから来ているかということですが、これは1941年8月14日の大西洋憲章の引用であるとされております。この大西洋憲章の第6項にこのことが書いてあります。またその年の1月6日に、ルーズベルト大統領が4つの自由というものを表明しておりまして、その4つの自由とは「専制と隷従」及び「圧迫と偏狭」からの自由の他に、あと2つ「言論、表現の自由」と「信仰の自由」です。その4つを以っていわゆるルーズベルト大統領の「4つの自由」の定義になっているわけで、それがそのままここに引用されているというものでございます。前文だけでなく、本文の中にも例えば憲法13条の「生命、自由及び幸福追求の権利」という表現は、そっくりそのまま1776年アメリカ独立宣言の前文の一節にあります。そのように明らかに、これは外来憲法であり、又GHQのスタッフが英語で書いたものを翻訳した憲法であることは歴然としています。他にも言葉の使い方が、例えば『恵沢』などという言葉を無理して当てはめたと思いますが、大変にぎこちない前文になっていることも事実です。これから21世紀の国のかたちを決めていく憲法改正におきましては、この憲法前文を残しておくということはあり得ないことだと、そのように考えます。ただ、ここに書いてある思想、理念につきましては、これを尊重すべき点がございまして、それは冒頭に紹介しました立党時の「党の使命」という文書にも書いてありますが、自由主義、民主主義、或いは平和主義、人権主義といった理念ですね。これは大切にしようではないかということは各党のコンセンサスになっております。これは引き続き次の憲法でも維持し、明記していくべきものでございますが、しかし私はそれだけでは不十分であると考えているわけでございます。したがって私は第2の「憲法改正の必要性」とレジュメに書きましたけれども、21世紀に入りましてどうも国全体が秩序を失いつつあるという感じが致します。従いまして20世紀半ばのわが国が独立を失い最も惨めな状態に置かれました時点で国のかたちを定めました現行憲法と、それからこれだけの経済大国になりまして世界に貢献できる実力を持ちながら、国家としては締まりのないややばらけた感じになりつつある日本国の実情を踏まえまして、新しい国のかたちをここで定めていくということが改正憲法の意義であるということを私は皆様方に訴えたい。  
 
〈新しい国家の目標設定〉  
なぜ日本の社会全体が秩序を失いばらけてきた感じなのかということでございますが、それは国民の英知と勤勉性の賜物ではありますが、経済的に非常に豊かな国になることが出来て却って国家目標を失いつつあるということだと思います。何が一体国家の目標であるかということについて、大変失礼ではございますが、もちろん私自身を含めまして明確な答えを示している人はまだどなたもいないと思います。やはり政治家は国家の経営、国家の運営の衝にあたるのでございますから、国家の前途、行方、国民の将来というものについて、ひとつの目標を示していくということが政治の重要な役割であるということは自明の理だと存じます。日本国民はあの敗戦後廃墟となった後立ち上がっていわばもう一度明治維新と同じように坂の上の雲を目指して再出発する決意をした。その際いわゆる富国強兵策の内強兵策は捨てて、富国一辺倒で経済大国を目指すということでやって参りました。それが20世紀後半の明確な国家目標でございました。その後一定の経済水準を達成したが次の国家目標がないというのが現状ではないか。そのように考えますので、そこで新しい国家目標を定めるということ、それからもうひとつは、非常にグローバリズムが進行致しまして、例えば経済に国境無しという言葉がございますように、国境という概念が変わってきたということがございます。それから一方において、個人の権利、利益というものが非常に強調されてまいりました。いわゆる国家と個人、国民との関係ですね。それは国民、個人の方にウエイトがかかり過ぎており、社会全体よりも個人の権益を守るということが優先され過ぎているきらいがある。日本は明治維新後初めて国民国家になったと言われますが、日本の国民は国民の権益を守ってくれているのは本来国家であるということについての認識が足りないと思います。つまり「国際と国家」、「国家と国民」、「国民と国民」の関係について明確に整理されていないという状況がございますので、そこのところを新しい憲法で、新しい「共生」という理念の下に明確に整理すべきではないかというのが私の提案でございます。大変恐縮でございますけれども私自身の拙著「憲法改正」の中に書きました前文の試案というものをお配りしたいと思います。この前文の試案で私が「共生」の理念の尊重と「道義国家」の実現を提唱しましたが、あえて読み上げますと  
『日本国民は、日本国の最終意思を決定する主権者である。国政は、正当に選挙され、国民の信託を受けた代表者によって担われる。  
日本国民は、世界の平和の維持に努め、積極的に国際貢献を果たす。日本国は独立を堅持し、国際社会の一員として平和主義を貫き、国家間の共存関係を追求する。  
日本国民は、基本的人権が尊重され、活力に満ち、安心できる社会を目指す。権利は義務を伴い、自由は責任を内在する。自立した国民間の権利は、時に、公共の利益の観点から調整される。  
日本国民は、共生の理念を重んじ、日本の歴史と伝統、固有の文化、美しい国土を大切に守り育て、自立した個人として社会に奉仕する精神を発揮する。  
日本国民は、連帯してこうした「道義国家」の実現を誓う。  
日本国の最高法規として、この日本国憲法を制定する。』  
これを一応のたたき台として改めて当憲法調査会に提案させて頂きますので、今後大いに議論して頂いてもっと素晴らしい憲法前文を皆様方の手でお作り頂きますようにお願いをする次第です。  
 
〈第9条こそ憲法改正の焦点〉  
次に今回のイラク問題でも前文と9条と関係づけまして色々と議論されておりますが、9条が憲法改正の焦点であることは間違いありません。もちろん他にも私は現行憲法には改正すべき点がたくさんあると思います。例えば拙著の中で『共生社会の権利と義務―新しい人権の尊重』の項で書いておりますけれども、「環境保全の権利と義務」というものは現行憲法にはございません。これは割合新しい価値観でございます。わが国に環境庁ができましたのは1971年で、まだ30年を越えたばかりですが、そういうことから致しましても、比較的新しい、少なくても1950年代迄はなかった価値観でございます。当然新しい憲法にはその他にも「知る権利」でございますとか、或いは「情報公開」の問題でございますとか、いろいろと改正憲法の中に、きちっと整理しておく価値観もあると思います。一方におきまして先ほどの前文の中にも、権利には責任が内在しているということを書きましたが、国を守る義務、もちろん徴兵制のことではありませんが、とか選挙権行使の義務とかの規定を設ける等、権利と義務のバランスをとる問題もございます。他にも首相公選制度とか二院制のあり方とか地方分権の制度とか議論すべき改正点は沢山ございます。しかし改正する場合には憲法9条の問題を棚上げしておいて、各党間の調整しやすい点から改正していくという意見がありますけれども、私はまず憲法9条の改正をやらなければならないと思います。なぜならわが党の立党の精神がまず9条を改正すべしということが含意でございますから、立党の精神に悖るということになる。そういう意味で憲法9条問題について少しお話をさせて頂きたいと思います。  
そこで憲法9条で一番問題なのは国民の皆さんが9条を素直にお読みになって、果たして自衛隊が軍隊であるのかないのかが分かるのかということです。9条2項に『陸・海・空軍その他の戦力はこれを保持しない』とあるのにどうして自衛隊の存在が認められるのかということについて、憲法学者によれば、『前項の目的を達するため』つまり侵略戦争をやるための武力行使は放棄するのだから自衛隊は認められるんだというのが説明ですし、その解釈は今や確かに定着致しましたが、そんな専門的な解釈を専門家でない国民ができるわけもなくて、現に私自身も長い間どうして憲法9条の解釈で自衛隊が合憲になるのかと不思議に思い続けてきました一人です。一般国民には確かに9条を読んで、自衛隊合憲というのは呑み込みにくい話でございますので、そんな憲法を国家の最高法規としてもっていること自体が私は問題だと思うし、義務教育を了えた国民なら誰でも納得出来るように、もっと分かり易く書くべきであると思います。そのように9条はわずか2項の短い文章でございますが、いろいろな問題提起を致しているのでございます。一番議論になっておりますのは、集団的自衛権の問題ですが、まず集団的自衛権は個別的自衛権と並んで、国際法的に認められているということは周知のことです。そこでまず自衛権自体が果たして、日本で国民の間にどのような過程で認知されてきたかと申しますと、自衛隊が創設され実際発足したのは、1954年(昭和29年)の7月1日のことです。自衛隊が出来たということ自体が、わが国に自衛権があるということを自ら認め具体化したということです。そこでそれに続きまして1957年の5月に「国防の基本方針」というのが出来ております。私も防衛政務次官、防衛庁長官を勤めましたが、この国防の基本方針というのは自衛隊員にとってまずベーシックなものでございますので、これを防衛関係者はどなたも諳んじているはずです。日頃から小泉総理が言っておられますわが国の外交、安全保障の方針は国際協調と、日米同盟であるということをよく言っておられます。確かに「国防の基本方針」には、  
『 1、国際連合の活動を支援し、国際協調をはかり、世界平和の実現を期する。  
 2、民生を安定し、愛国心を高揚し、国家の安全を保障するに必要な基盤を確立する。  
 3、国力国情に応じ自衛のために必要な限度において、効率的な防衛力を漸進的に整備する。  
 4、外部からの侵略に対しては、将来国際連合が有効にこれを阻止する機能を果たし得るに至るまでは、米国との安全保障体制を基調としてこれに対処する。』  
と書いてあるわけで、これが一言一句修正を受けたことはございません。そこでここに書いてありますように、第一に国際連合の活動を支援していくということが書いてありますが、第三に、必要な限度において自衛力を整備するということ、第四には、実際日本が外国から武力攻撃を受けました時にはどうするかということについて、『外部からの侵略に対しては、将来国際連合が有効にこれを阻止する機能を果たし得るに至るまでは』とありますが、残念ながらこれは理想を言ったのであって、将来もそんなことにはなりそうにない。国連が日本の安全を守ってくれる、つまり国連軍ができて、国連軍が日本に常駐してくれるなどということはこれは絵空事だと思いますが、しかしここには書いてある。そこでそれまでに至るまでは、ここが肝腎なところですが、『米国との安全保障体制を基調としてこれに対処する』。即ち日米同盟で対処するということになっているわけで、確かに国連尊重ということではあるが、しかし実際に日本の防衛のためには日米安保体制しかないよということが書いてあって、いわば不磨の大典みたいにこの「国防の基本方針」というのは存在しているということをご承知願いたいと思うわけです。したがって有事法制ができましたけれども、日米安保体制がちゃんと機能しないと駄目でございます。日米安全保障条約の実施法制というのは第6条事態(極東有事)の分は先年周辺事態法の成立によって整備されましたが、第5条事態(日本有事)の分は今日まで整備されておりません。それをこの国会におきまして、いわゆる「米軍が円滑に行動するための米軍支援措置法案」としてACSA協定も含めまして整備されることになりました。日米安保体制を実際に一朝有事のときに有効ならしめる法整備がやっと今日になって国会で行われようとしているわけでございまして、今迄のところマスコミを賑わせることはありませんが、これは非常に重要なことであります。  
 
〈集団的自衛権論考〉  
そこで、集団的自衛権の問題に移りますが、この集団的自衛権の問題につきましては国連憲章第51条にこう書いてあります。『この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間』、つまりこれは国連軍が対応するまでの間ということになるわけですが、『個別的または集団的自衛の固有の権利を害するものではない』ということがここに明記してあるわけでございます。これは1945年6月26日に50カ国による国連創設会議で採択された憲章でございまして、ここに集団的自衛権というのは明記されているのでございます。それから1952年4月28日にサンフランシスコ講和条約が発効しましたが、その第5条に『連合国としては、日本が主権国として国際連合憲章第51条に掲げる個別的又は集団的自衛の固有の権利を有す』ということが書いてあり、その結果わが国が独立を回復致しました。1946年6月26日当時の吉田茂首相が国会答弁で、わが国に自衛権はない、と答弁した例がございましたけれども、独立回復して2年後には自衛隊ができまして自衛権があるということが実行行為として確認された次第でございます。そのようなわけで安保条約にも1960年改定時に日米両国が個別的又は集団的自衛の固有の権利を有しているということを確認するということが前文に明記してあります。そういう次第で集団的自衛権は自衛権の一態様と致しましてこれは国際的に受容されておりますが、わが国は憲法解釈上この集団的自衛権の行使には一定の制約があり行使しないという憲法解釈が内閣法制局から出されまして、それを歴代政権が踏襲しております。そこで今回のイラク自衛隊派遣に関しまして一部の学者から憲法解釈上の疑義が唱えられます中で、サマワというところに陸上自衛隊が派遣されましたが、その地域にはオランダ軍が先に常駐している。そこでオランダ軍の協力によりまして自衛隊の宿営地が作られているのに、そのオランダ軍がテロ攻撃を受けた時に一体自衛隊は何も出来ないのかという議論があります。つまりオランダ軍にせっかくお世話になりながら、またこれから自衛隊が永く現地に駐留している間は何かとお世話になるのに、憲法上集団的自衛権の行使ができないばかりにオランダ軍が攻撃を受けた時に一緒に守ってやれないということを、よく指摘される方がおられます。相当な有名な憲法学者や政治学者でもそういうことをおっしゃっておられるわけですが、私に言わせるとそれは間違った解釈でありまして、集団的自衛権が認められないからオランダ軍を守ってやれないということではございません。元々憲法9条第1項で、我々はいわゆる国際紛争を解決する手段としては武力による威嚇又は武力の行使は永久に放棄するということを謳っており、かつ第2項で戦力不保持と国の交戦権不認を謳っている。従って外国軍隊の武力行使とも一体化出来ない、オランダ軍の武力行使の際も同様である、ということです。そこで自衛隊としては自己又は自己の管理下にある者が攻撃を受けた時には、正当防衛又は緊急避難のために武器を使用出来るのみとしているのです。つまり友邦国といえども外国において武力行使をする時に、これと一体化することはできないという武力行使一体化禁止論が、もっぱらオーソライズされていまして、しょっちゅう政府の国会答弁でもでてくるわけでございます。従って集団的自衛権の行使禁止と関係なく、今の憲法では自衛隊が外国で武力行使はできないというのが正しい解釈であると思います。ですからわが国と致しましては武器の使用の制限もそういう観点から行っておりますので、もし当面そういう問題をクリアーしていこうとするならば、国際連合の枠内での国際貢献活動の中では武器の使用の原則をグローバルスタンダードにする、国際標準にするということが必要です。PKO活動でも同様の問題がございまして、いくつかのPKOに自衛隊も参加致しておりますが、一緒に同じPKOに参加している国の軍隊を守ってやれないという問題がございます。これも憲法解釈上生ずる問題ですが、国際常識からすれば非常におかしなことでございますので、国際貢献を集団安全保障、国連安全保障の見地から行う場合には、武器使用の範囲はグローバルスタンダードにする、国際標準に合わせる、ということにしなければならないと思いますし、それは現行憲法の解釈でも私はできることだと、そのように考えます。PKO法の更なる改正と、それからこの種のケース例えばアフガニスタンのケースにおきましてもイラクのケースにおきましても特別措置法を作りましたが、その特別措置法の中で武器使用の範囲というのを国際標準にするということを定めるべきであったと思いますし、今後は国際貢献のために国連の枠内で自衛隊を派遣する場合にはそのようにすべきであると考える次第です。しかしこれは集団的自衛権の行使の問題とは別でございます。集団的自衛権の行使は同盟国との間だけで認められるということになっております。同盟国と言った場合に日本の場合米国だけでございます。オランダは同盟国ではございませんので、サマワにおいて集団的自衛権の行使云々ということは当らないのでございます。ただ私は従来この種の議論の当否について、この憲法調査会でも学者先生をお呼びしました時に質問したことがございます。つまり国際連合に加盟している国々の間では国際連合、国連憲章を通じまして同盟関係にあるとみなされないのかと。国連の決議に基づいて行われる集団安全保障措置に関しては集団的自衛権の行使が相互に出来ないのかと、私がそんな質問をしたことがございますが、どなたもそれについて明確な回答がございません。その議論はよくわからないと言われるわけでございまして、従って定説もございません。国連加盟国間では、日本とオランダもそうでございますけれども、中国やロシア等190ヶ国も加盟していますが、個別国間にはいわゆる同盟関係というものの存在はあまり多くありません。わが国も今同盟関係というものは日米安保体制を結んでいる米国との間で認められているだけでございます。従って日米の共同行動につきましては当然集団的自衛権行使の問題は出てきます。しかし日本が攻められました場合、つまり日本有事の場合には米国が当然日本を一緒に守ってくれるのに、米軍が公海上で一緒に日本の自衛戦争を戦ってくれている状況の中で米軍に対して集団的自衛権を日本の自衛隊が行使出来ないのかという議論があります。しかし日本有事の場合は公海上で米軍が攻撃を受けました場合日本の自衛隊が集団的自衛権を行使して一緒に戦うことは当然だと、私は考えます。一方米国有事の場合日本の自衛隊が集団的自衛権を行使するということは私は現行憲法の解釈では出来ないと思いますので、その観点からも日米同盟関係の相互性と申しますか、強化のためには集団的自衛権の保持を憲法上明確にすべきであると思います。これは包括的に一般的自衛権の保持を明確にするだけでよろしいと思います。但し安保政策上集団的自衛権の行使を限定的なものにすることは必要なことで、別途安全保障基本法を制定して、その中で明示すべきだと思います。それから自衛隊が国際貢献の分野にも出動できるということも、私は来るべき憲法改正で積極的平和主義の立場から明確にすべきだと思います。勿論昔は国際連盟もあったことでございますし、国連が永久不滅なものではございませんから、国際連合という言葉は新しい憲法の中には使えませんけれども、国際協調、国際的な枠組みの中で日本の自衛隊が積極的に国際貢献の役割を果たすことができるということは今度の憲法改正案で明記すべきであると考える次第でございます。ちょうど1時間になりましたので、最後に私の憲法9条改正案をお示しして私の話を終わらせて頂いて、ご質問ございましたらさらに議論させて頂きたいと思います。ご静聴有難うございました。  
『第○条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、自衛権を行使する場合を除き、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇または武力の行使は、永久にこれを放棄する。  
日本国の主権と独立を守り、国の安全を保つとともに、国際平和の実現に協力するため、内閣総理大臣の最高指揮権の下、陸、海、空軍、その他の組織を保持することとする。』  
 
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