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マンガ半生記(完全版) Profile in English 山崎拓との一問一答 経歴詳細 講談Movie半生記 マンガ半生記(ダイジェスト版)
マンガ半生記
博多育ち
幼い日、太平洋戦争が始まり、激しい空襲やイモ、カボチャの疎開生活を体験。「戦争はイヤだ」という思いを幼い胸に刻み込んだ。小学生時代はワンパクが過ぎて片目を失明。
柔道一直線
中学から柔道を始めた山崎拓は修猷館高校、早稲田大学と柔道中心の生活。講道館でも春に5人抜きで2段になり、秋にまた7人抜きで3段になるという年2回昇段の快挙もなしとげた。ここで体力・忍耐力・決断力が磨かれた。
東京の青春
早稲田大学では柔道部で活躍しながらも、授業は休まず成績は最優秀。さらに家庭教師、英会話、読書、酒(?)と多彩な青春。しかも福岡市内の化粧品店の看板娘・芙美子さんとのデートも重ねていたのだ。
サラリーマンから独立
大学を卒業後、ブリヂストンタイヤへ入社。が、祖父の炭坑の残務整理をするために退職、福岡で事業家として出発した。
草の根運動
東南アジアを訪問、先進国に追いつくには政治が重要と痛感した山崎拓は、博多の友人たちにも奨められ政治家を志した。そして、手弁当の草の根選挙で、昭和42年、福岡県議会議員に初当選。最年少・最高得票の快挙だった。
国会へ
福岡に遊説にきた中曽根康弘氏の前座をつとめたとき、「見どころがある。国会へこないか」と声をかけられたのが苦闘の始まり。2年後に挑戦して落選。以後3年間、朝から晩まで歩き回った結果、自民党非公認の壁を乗り越えて衆議院議員に初当選。
自民党のホープ
山崎拓は中曽根康弘、渡辺美智雄両氏に学びながら、エネルギー、中小企業、福祉、外交、防衛、教育、農林水産などの問題に取り組み、人脈と守備範囲を広げていった。当選5回で官房副長官となり、平成元年には防衛庁長官として初入閣、さらに宮沢内閣では建設大臣をつとめた。
リーダーへの道
自民党の再生と世代交代と推進するYKKトリオ(山崎、加藤紘一、小泉純一郎)の一員として、山崎拓は、いま確実に、政治を動かすリーダーへの道を歩み始めている。平成7年には自民党政務調査会長に就任。21世紀には、日本の頂点に立つ政治家になっているはずである。
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