減りつつある若者を一騎当千に鍛え上げて日本の活力を維持する

山崎拓: 早稲田大学はもうすぐ創立125周年ですよね。
奥島孝康: 2007年に125周年を迎えます。
山崎拓: 建学の理念の中に「模範国民の造就」がありますね。私は「憲法改正」 という著書のなかで、「道義国家」を目指そうと書いたのですが、意図は同じような気 がします。また、創立者の大隈重信翁が「停滞は死滅である」と言っていますね。 つまり「時代の変化に適応できないと生き残れない」ということですね。
奥島孝康: 早稲田の人間づくりのひとつの型が、山崎さんのような人物に結実していると私は思 っています。それはどういうことかと言うと、グローバルというか広い視野で、 そして高い目線で物事を見る、ということですね。また学生時代に柔道で鍛 えられた肉体と、ローカルな早稲田らしい野人の魂を持ち、行動力にあふれた政治家として活躍されている。 われわれは誇りに思っています。
山崎拓: 早稲田出身で、実は中退らしいんですが「人生劇場」で有名な作家の尾崎士 郎さんが早稲田人の面目は「洗練された野生味にある」と言っています。 私はこれがすごく気に入ってまして、常に洗練された野性味、高潔な泥臭さを目指してきたつもりですが、これからも気力を失わず前に向かって進 みたいと思います。
奥島孝康: 私は、国政の中で単に高い目線で、単に洗練されているだけではなく、 今おっしゃったようにもっと泥臭い、野性的な、もっと低い目線でものを見られるような度 量の広い、懐の深い政治家が必要だと思います。そうじゃないと、バブルを生むような政治になっていくのではないか。 バブルを生んだのは、私は要するに、世の中を形成する基盤である人間の欲 求が、いかにもろい基礎に基づいているかに気づかなかったことにあると思 っています。日本が大変なことになった昭和3年の世界恐慌の時、理論的 に指導したのは石橋湛山を始めとした、いずれも早稲田出身の民間エコノ ミストでした。ああいう世界恐慌の時にちゃんと日本の将来を見据えて発言した人 たちの多くが早稲田から出た。今、これからの日本を切り開いていく方向について、 同じようなことを早稲田の人たちがやらないといけない。たとえば私は「 教育立国」と言ってるんですが、これから早稲田がこの方面でも骨太の理論 を打ち出せるような大学づくりに一生懸命邁進しているつもりです。そういう中で山 崎さんが先頭に立って、早稲田の心をしっかり持って、混迷の21世紀の日本 を切り開いていただきたいと思っています。
山崎拓: 官学は官僚を多く生みますが、早稲田とか慶應とかその他私学は、 私学ということでの良さというのがあります。あまり官僚にはなりませんが、 社会における正しい批判勢力となり、かつ社会を引っ張る力になる人材を輩 出してきたと思います。「科学技術立国」あるいは「教育立国」は重要です。 政治の世界のわれわれの仲間は小さくまとまるというよりは、理想を掲げ、 かつ現実に則して活力・気力を持ってみんなを引っ張っていくという存在が多い。 私は、早稲田の教育は、自分が出身であるから言うわけではありませんが、 特徴的なものだと思います。
奥島孝康: 今おっしゃったように早稲田の教育のひとつのあり方は、「現世を忘れぬ久遠の理想」というあの歌の文句ですよね。現実の中でもがきながら、 しかし理想という灯りを点し続ける。 早稲田出身の政治家はそういう意味の、現世を忘れない泥臭い面も持っています。そういう泥臭い現実の中で泥まみれになりながら、のたうち回りながら、しかし的確に世の中のずっと先の先を見通した理想の実現の志をしっかりと持っている。そういう政治家が早稲田の神髄だと思 っています。そこで、今私たちが考えているのは、21世紀の展望をどのように切り開 いたらいいかということです。学校というひとつの制約された立場ですから視野が狭いのかもしれませんが、われわれが学校にいて思うことは、10年後にわれわれに明るい未来を示してくれるものが今のところ出てきてないのではないかということなのです。 “失われた10年”に続いて“さらに失われた10年”となったのでは困る。 レーガンさんは教育立国から始めたが、10年経てばそれが実ってシリコンバ レーが生まれた。そういう形で、アメリカの経済が花咲く政策をとった。 日本には資源がありません。また、ある程度成熟した社会になっていますから生産力の問題も見ますと、中国の方に工場が移っており、日本が空洞状態になってきています。 しかも若者たちの数がどんどんどんどん減ってきている。こういうことを考えると、私たちはこの島の中でどうやって未来へ活力をつくっていくのか。 数が減りつつある若者を一騎当千に鍛え上げて日本の活力を維持する。これをなんとか私たちは学校の立場でやっていかなければと思います。ところが、アメリカとかヨーロッパと比較して、教育界の全体を見てみますと、あまりにも日本の場合には、 GDP比で公的な高等教育に対する資金の投入が少な過ぎる。アメリカの3分の1ですし、ヨーロッパの2分の1ですから、非常に低い。どうしてこんなに低い水準なのか、 簡単に言うと私学が頑張っているからなのですね。もし私学が頑張っている分を公的資金でやろうとしたら、だいたい5兆円か5兆5000億円くらいになります。いま教育全体の予算が4兆円くらいですが、それだけ教育費が少なくて済んでいるのは、 私学が頑張っているからです。ですから私たちとしては、私学が国のある部分を支えている現実を認識していただいて、もっと公的な資金の導入を計ってほしいと思 っています。お金がないのはわかっていますのでドラスチックにはできません。 そこで、国立大学と比べて私学の競争条件を同じくするという意味で、国立大学並みの租税措置をとっていただくことが今一番の現実的な問題ではないか、 これは私たち私学の立場からだけで言うわけではありません。教育全体について明快な方針をとっていただきますと、私たち高等教育機関は未来を切り開くひとつの尖兵としての力を持てるのではないかと思 っています。



教育に競争的資金の形で投入を

山崎拓: そうですね。今のままでは日本の前途は活力が失われる方向に進んでいるということを、 奥島総長は警告されていると思うのですね。少子高齢化のことをおっしゃったわけですね。 21世紀の半ばには日本の人口は半分になるという人口推計があります。人口が半分になるということは、 総長が言われたように、ひとりの人材が今の倍の活躍をしないと支えられないということは間違いない。
奥島孝康: はい、そのとおりです。
山崎拓: そのための高等教育養成をなんとかしないといけない。私もそれはわかっています。 現在のところ、何割の学生が私学なのですか?
奥島孝康: 学生数で言うと8割近くです。学校数で言うと74%です。
山崎拓: それだけ多くの私学がありながら、伝統的に官学に資源配分がかなり大きく集 中していますね。一方、私学は国に依存しないでやる、という論理もあり、 民間の資金を活用することも必要ですね。その意味で、税制面で、私学に対する支 援を強化するということは、大変意義のあることだと思います。科学技術 、ポテンシャルの問題もあって、産学一体ということにおいても日本は大変遅 れています。だから産学一体を進めるためにも、産業界からの教育への資金を有 効活用することを考えなければと思います。
奥島孝康: その点は、私たち私学もどんどん進めておりまして、今回は山崎さんのご尽力がありまして受託研究の非課税化が実現しました。これは産学連携を進めていく上で大きな意味合いを持ったもので、大変ありがたく思っています。 実は公的助成について、私たちは今みたいに一般的な公的助成がいいと考 えているわけではないのです。アメリカの公的助成は日本のようにバラ撒 くわけではないのです。研究費として国が渡すのです。だから研究能力、人材育成、要するに特色のある大学に対して国が研究を委託し、人材育成を委託するんですね。 われわれは、そういう形での助成ということを考えておりまして、一般的 な私学に対してお金をバラ撒くという経費ではなくて、競争的な資金として、 頑張っているところに対して国がバックアップするという形でやっていただければいいと思 います。ですから、アメリカなんかは日本の3倍くらいの金が出ている。 それも、この10年足らずですよ。日本では「アメリカではぜんぜんやってない」 と、皆さんずっと10年以上前の実状を基にお考えになっています。ところがこの10年、アメリカは急速に公的な資金を教育に投入し、それが今花開いてきているのです。 山崎さんのご尽力でぜひとも教育に競争的資金の形で国費を投入していただきたいと思 います。今文部科学省がやっていることは、国立大学を独立法人にするために、 簡単に言うと、お嫁入りするので一生懸命持参金をつけてやろうというところばっかりが見える。 「それはそれで結構だ」と思いますから、国立大の足を引っ張ることは一切していませんよ。 しかし文科省は「自分たちは国立大学の設置者だから」と言うのですよ。 設置者だから国立大学にどんどんお金を投入するのは当然じゃないか、と言うわけですが、 だったら文科省は私立大学やらに対しては一体どういう立場なのですかね?日本の文教政策全体の立場から日本の文教政策をどのように振興させていくかという形で文科省は動いてもらわなければいけないはずです。ところが、文科省が国立大学の設置者としての仕事だけだと、ようするに全国立大学の事務総局に過ぎず、 文部科学大臣は事務総長としか見られない。文科省は、日本全体の教育を見る立場にあるはずなのに、 ちょっとおかしいな、と思います。文科省としては国の文教政策を担う必 要がある、ちょっとそこのところは見識不足だと思っているのですよね。 そのことをいつも申しておるわけですが……。


「塾を大いに活用しよう」という答申を

山崎拓: 今、教育の荒廃ですとか、初等・中等教育における理科離れとか、 この前私は国会の代表質問の中でもとりあげたんですが、そういうわが国の教育をめぐる問題をどのようにお考 えですか?
奥島孝康: これは、私は本当はやさしい問題だと思います。理科離れと言いますが、 子どもたちが理科に興味を持つような教育をしていないということだと思 います。学校が荒れている。それは子どもたちの要求を先生たちが汲み取って本当に愛情をもって子どもたちを育てるということをしてないのだと思います。 だって明快なことは、私立学校だったらそんなことはほとんど起こりませんからね。それはなぜかと言うと、私立学校は、子どもたちが来なかったら自分たちがやって行けないですから、先生たちが丁寧に手作りの教育をしています。ですから、理科離れとか、学校が荒れるという問題は起こらない。ところが、公立学校の方はいわば仕事としてやっている、「でもしか先生」もひと頃多かった。 もう今ではそういうことはないと思いますが、とにかく公立の学校における先生たちの子どもたちに対する対応の仕方は極めてビジネスライクですね。手作りの教育をしようという姿勢がほとんど見られない。これは単に先生の資質の問題だけではないのですよ。 実態を見てもらえばわかるが、先生たちがやたらに忙しい。教室で子どもたちを一生懸命育てることよりも他のことで忙 しいらしい。研修があったり、会議があったり、とにかく教室が先生たちの一番の戦場であるべきなのに、 私もあまり詳しいことは存じませんが、そこに先生たちが専念できないという事情があるようです。 ですから先生たちが教室で極めてビジネスライクになる、子どもたちに対する愛情が行 き届きにくい、それが私は一番の問題だと思います。これをどうしたらいいかということで、 いろんな会議があって私は座長をやった委員会で塾の問題を調べてみました。 最近までの文科省は、塾はいかがなものか、という姿勢でしたが、今度私たちは、 「塾を大いに活用しよう」という答申を出しました。ハッキリしているのは、 子どもたちにどんなにアンケートをとっても、「塾は楽しい、学校は楽しくない」 ですよ。「教え方は塾の先生の方がはるかに上手」、「塾の先生の方がはるかに好 き」なのですよ。公立の先生たちが塾を嫌っているのは当然なのです。これで塾を袖にしたら、学校の先生たちはますますダメになりますよ。つまり、塾ではこうなっているという比較されるものがあると、先生たちは頑張らざるを得ない。 これがなかったらもう比較されるものがないからやりたい放題になります。すると今までよりもさらに学校は荒れていくでしょうし、先生たちは教育に手を抜くでしょう。子どもたちが、遊ぶ場所がない、遊ぶ時間がない、それから遊ぶ仲間がいない、と言いますが、それがぜんぶ塾にあります。逆なのです。そういう塾に行くことによって子どもたちは救われているところがある。そういう実態を私たちはもっと評価して、塾のあり方に対する見方を改めなければいけないと答申した。そういう中で私たちが言っているのは、究極的に言えば塾は私立学校ですから、私立学校を増やさないといけない。これを山崎さんにぜひお願いします。私立学校の設立をうんと容易にする。ご存知のように私立学校は高等学校以下は実態的には県知事でなくて民間設置ですけれども、ここに審議会というのがあります。その審議会は私立学校の人たちが中心でやっていて、民民規制で官民規制よりはるかに厳しいのですよ。
山崎拓: ああ、なるほど。ライバルになる私立学校をつくりたくないのですね。
奥島孝康: そうです、つくりたくない。だから早稲田が小学校をつくる時は大変でした。
山崎拓: 早稲田に小学校があるのですか?
奥島孝康: はい、つくりました。
山崎拓: 高等学校がありましたね。
奥島孝康: ええ、別に中学校もあります。早実の方は、別法人ですが、私が理事長を兼ねています。もちろん高校もあります。ぜひお孫さんを入れて下さい。
山崎拓: 孫はまだいないのですけどね(笑)。福岡の話ですが、森田塾というのがありまして、同窓会をやると福岡の経済を支えている若手経営者がほとんど揃うのです。塾の同窓で。やってる仕事はバラバラなのですが、福岡の中小企業経営者の、たとえば青年会議所の多くがその塾を卒業した連中なんです。その塾はスパルタ教育をやったりしてますが、慕っています。これを見ていて、塾はガリ勉の集まるところだと思っていたが、必ずしもそうではないのですね。独特の連帯感を持って、塾の同窓として集まってお互いに社会に出てからも切磋琢磨しているという状況を見て、特殊な例かなと思っていたが、今、総長のお話を聞いてこれは普通にあることなんだなと塾を見直すことにいたします。



ヒューマンネットワークをつくっていくことが安全保障だと

奥島孝康: 確かに塾は勉強ばかりをやらせていますね。 だけど、これからは自然体験とかスポーツだとか、そういうことまで塾がやるような方向に対して、補助金を出すからやってくれというような方式をとれば、塾が受験を煽るための存在というようなものではなくて、もっと子どもたちのいろんな個性を引っ張り出すことができるような塾に変わってくる。これは実際問題として、私の友人が塾を経営しているが、今は昔みたいに詰め込みじゃないそうです。できるだけ個性を引っ張り出して、子どもに合った勉強のメニューを与える、というような形で個別的、個性的、ひとりひとり手作りの教育をやっているようです。 これが教育の原点ですよ。だから公立学校も本来そういう風な学校に変わって欲しい。 しかし、公立学校の先生は今までのあり方を見ると、ビジネスライクにしか子供に接しておりません。だから全体として学校が変わるのはなかなか難しいようですが、塾の存在が評価されてきたら、公立学校の先生は追い込まれますからやらざるを得なくなる。やっぱり競争社会のメリットはそこにあると思います。
山崎拓: 今早稲田はグローカル(グローバル+ローカル)・ユニバーシティー構想という学生のための大学づくりを目指しているそうですね。海外の大学との交流校は300以上ありますね。
奥島孝康: そうです。日本一です。交換留学生の送り出しは400人で、留学生の受け入れが1400人います。私たちはアジア・太平洋地域に特化した研究・教育の大学になろうと考えています。そういう形で私たちはアイデンティティーをつくろうとしています。しかし、目線は高くなくてはいけませんから、世界中の大学と協定を結んでおりまして、今320校と結んでいます。そこの大学とは学生を交換しています。この交換はなぜいいかと言うと、お互いに授業料放棄です。だから、早稲田の学生は早稲田の授業料を払えばいい。向こうも授業料はいらない、というわけです。早稲田の学生は、早稲田大学に来れば、1年間ですが世界のどこの大学にへも留学ができるという風に私たちはしようと考えています。こうすることで早稲田の学生たちは鍛えられる。旅は人間を鍛えるのにいちばん良い方法です。ある意味で武者修業です。そして違った観点で日本を見ることになる。そして交換で向こうからも学生が来るんですよ。早稲田で1年間勉強する、という形で早稲田を中心に世界にヒューマンネットワークができてきます。これが最終的には今からの世界では日本にとって大事だと思います。ヒューマンネットワークをつくっていくことが安全保障だと私は思っています。そういうことを早稲田は世界中でやる。特にアジア・太平洋地域に焦点を絞って重視していく、そういうことで、一方ではバーズアイというか鳥の目みたいに高くから、一方では地を這うようにワームズアイと言いますか、虫の眼で、モノを見ていく、そういう風な「グローカル」な目を養っていく、そこで学生たちを鍛えていく。旅以外に学生を鍛える道はないと思います。鍛えるとは、他人の心の痛みを知ることなんです。これが日本の子どもたちには決定的に欠けている。日本は徹底的に甘やかされた社会ですから、日本にいたら誰も困らない。だから“フリーター”が出てくる。要するに、のんびりと暮らしたいというようなことがまかり通っている。それを外国に行って厳しい社会の中で、そんなことでどうするのだ、ということを知る。自分が苦労する。苦労することによって初めて他人の心の痛みを理解できると思うのですね。私たちはそういう目で見ていますから、ヒューマンネットワークの形成をアジア・太平洋を中心として考えながら、早稲田大学のアジア・太平洋に対する志を北九州の大学院という形で出島をつくったんです。この出島をつくることによって早稲田大学はアジア・太平洋に志を向けているということを万人の目に見えるようにしようと考えています。それと同時に、私は、早稲田の創立者たちが親戚付き合いをしていた人たち、これは志を同じくする人ですから、できる限り関係を復活させないといけない。そうしますと、同志社大学が出てくる。初期の早稲田の教員は同志社から来られた先生が多かったんですが、あそこと国内留学を始めた。大隈さんが長崎で習ったウィリアム司教という先生がいるのですが、その先生がつくった学校が立教大学なのですよ。それで、大隈さんは立教大学で「わしはここの出身みたいなもんじゃ」と言われたそうです。早稲田より先につくられてますからね。そういうわけで立教大学と交流をする。大隈さんはさらに日本女子大学の創立委員長で、発起人総代なのです。ですから日本女子大とも交流をする。そうすると近くにある学習院も入れちゃえということで「学習院も入りますか?」、「ぜひ入れてくれ」ということで、みんな歩いて帰れる範囲ですが、5大学で単位互換制度をつくり、学生をごちゃ混ぜにしているのですよ。
山崎拓: 学生たちにとっては選択肢が増え、活気がでそうですね。



伝統的精神の中にアジア主義というのがある

奥島孝康: 学生にとって一番良い教育方法は、個性と個性がこすれ合うことです。この摩擦熱が学習熱に転化するんですから、そういうことを考えた大学教育のあり方を考えています。それは世界との間でも同じ効果を持ちます。それから中央と地方との間での交流も同じ効果を持ちます。もっともっとヒューマンネットワークを広げていきたいと思ってますが、今のところは世界では320校、大学周辺では7校でしょうか、こういう形でやっています。
山崎拓: 7校とは?
奥島孝康: 武蔵野美術大がありますね。ここも早稲田の人たちがつくったのですよ。ですから、昔の縁を復活させようということで交流を始めました。うちには美術史もあるし建築もあるので、これを交換しますと学生たちにとっていい。それから東京女子医大がそばにあります。うちは医学部がありませんが医学関係の研究は随分やっていますので、そことも共同研究を中心に大学間で交流しています。
山崎拓: 理工学部はあるが、医学部はないのですよね。理工学部は伝統も実績もありますよね。施設で官学に遅れるということはありませんか?
奥島孝康: 施設は官学はすごいですよ。国がやることは並ではないですよ。私たちから見ると、本当に贅沢ですね。
山崎拓: そうすると、人材は集まらないのではないですか?早稲田の理工学部は非常に優秀だと定評がありますが、施設が官学に及ばないとなると、大丈夫ですか?
奥島孝康: ですからその中で私たちは生き延びないといけない。東大は柏に100万坪かそれくらいの土地を有して展開しています。私立大学はこれまで、やれることはなんでもかんでも東大の真似をしたために、だんだん力を失っていったのだと思います。同じことを考えて同じことをやりますと、国はものすごい金を投入する。例えば、学生ひとり当たり、東大なんかは国費から1000万円位投入される。早稲田大学は15万円しか貰ってません。授業料合わせても100万円でしょ。そうすると、10対1の予算では、うちが競争しようと思っても何でも3流、4流になるわけですよ。ですから、特定のところにわれわれは焦点を合わせて早稲田らしい志を示す分野、たとえばナノテクノロジー、これは早稲田が今COE(Center of Excellence)に指定されました。今やナノテクノロジーと言えば早稲田ですよ。
山崎拓: ほぉー、それは快挙ですね。
奥島孝康: そういう特色をつくっていかないといけない、ということで、国立と競争をしようと思っています。早稲田には理工学部みたいな狭いところしかありませんが、あの近くのJRが持っている土地の買収にかかっております。7660坪くらいありますが、そこを取得すれば国立といろんな分野で競争できるものをつくっていけると思います。今は早稲田らしいアジア・太平洋というような目標を明快にして、情報通信やナノテクノロジー、アジア学などと言われるものが早稲田ではものすごく整備・充実してきています。アジア学については早稲田はどの大学にも負けない分野にしようということで、特色を付けることによって、人文科学でも社会科学でも東大や京大と勝負しても負けない分野をつくって、しかも早稲田らしい志を示すような学問をつくっていくことができるのではないかと思います。
山崎拓: 私は自分の外交面の行動を見ておりまして、改めてアジア指向だなと思い当たりました。政治家は、国会が休みになると、みな海外に出るのですが、多くがヨーロッパへヨーロッパへと行くのですよ。アメリカに行く人も多いが、ヨーロッパに行くということは、それはそれで全く意味がない事ではないが、政治問題としてはかなり少ない。ヨーロッパは地球の裏側でもありますしね。われわれはアジア指向であるべきだと思います。「アジア・太平洋地域を睨んだ大学の教育活動の展開」ということを承りましたが、私も早稲田出身ですから、伝統的精神の中にアジア主義というのがあるのでしょうね。
奥島孝康: わが国のアジア主義は早稲田で盛んです。なぜかと言いますと、早稲田大学にアジア学を入れたのは小野梓先生で、小野さんの号はまさに東洋です。戦前にアジアにおいて早稲田のプレゼンスが強かったのは、そういう大学の中心的な大隈さんとか小野さんがアジアを重視していたからです。単に日本だけではなく、アジア全体を底上げしないといけない、アジア的停滞を何とかしなければいけない、そこに新しい文化・文明をつくらないといけない、ということを考えていたんですね。アジア全体を底上げするための研究機関・教育機関に早稲田大学がなろうという先人たちの想いが、アジアのいろんな人たちを早稲田に引きつけたのだと思います。ところが、この伝統がいつの間にか薄らいできてしまった。それを私は再興しようということで、総長になって7年間一生懸命頑張った結果、今やアジア・太平洋といったら早稲田大学と言われるまでになりました。
山崎拓: 1962年、25才の時に私は初めて海外に出ました。アジアの国々を船で廻ってからヨーロッパに上陸したのですが、当時のアジアはすごく貧困でした。どうしてヨーロッパとアジアにこんなに差があるのだろうという思いにとらわれまして、結局これは政治のせいじゃないかと思ったものですから、アジアが貧困からテイクオフできる役割を日本が果たしたらどうだろうと考えるようになりました。私は福岡の玄洋社の末裔でもあるし、自分の宿命じゃないかと思って政界に出てきたんです。さっき旅の大切さをおっしゃったが、外国への旅が私の政治への志向を決めたのです。その旅でアジアの貧困に触れ、東洋の精神性に触れ、そこで政治の役割という想いに達したわけです。その後、政治家になりましたが、やっぱり早稲田の精神がいつの間にかビルトインされていたんだと実感しますね。
奥島孝康: 山崎さんのお話をいろいろ聞いておりますと、山崎さんはますます早稲田精神を体現されている方だと改めて思いました。
山崎拓: 本当にありがとうございました。

(2002年2月14日 山崎事務所にて)