第22章 地方改革への挑戦


「地方の時代」へ
 日本が国際的に重要な役割を果たし、世界の平和と安定に貢献していくためには、国内経済の活性化と国民生活の安定が不可欠である。暮らしがある程度豊かで、家族の絆が保たれてはじめて、対外的な活動にも力が入るというものだ。
 その国民の暮らしを最も身近で支えるのが地方自治である。だが、地方自治体は今、数多くの課題を抱えている。
 不況の長期化による地域経済の疲弊、少子・高齢化社会に対応する福祉政策、ごみ処理、ダイオキシン対策など、地域および住民をとりまく重要なテーマが待ったなしの状況で山積している。
 一方、税収減で加速する地方財政の悪化は目をおおうばかりだ。全都道府県、市町村の借入金残高の総額は、一九九九年度末で一七六兆円にまで膨れ上がる見通しだ。財政再建と景気対策の板挟みのなかで、多くの自治体が前年度比マイナスの緊縮予算を組んだ。それでも、地方自治体の財政危機に歯止めがかかる気配は見えない。
 何が、自治体をここまで満身創痍にしてしまったのか。
 高度成長、バブルと続いた右肩上がりの経済成長のなかで、開発優先の大型事業に邁進してきた自治体の責任はたしかに大きい。だが、それだけではない。
 戦後五〇年余、補助金、許認可でがんじがらめに地方を縛ってきた中央集権のシステムそのものが、制度疲労にさいなまれているように見える。
 地方分権一括法の成立により、国と地方自治体の行政システムは、大きな変革への第一歩を踏み出した。「上下・主従」の関係から「対等・協力」の関係へ変貌する。
 二一世紀は間違いなく「地方の時代」である。
 だが、真に「地方の時代」を現出させるためには、地方自治体が責任を持って政策を遂行する「地方政府」に生まれ変わることが大前提である。

基礎的自治体への再編
 現在の都道府県、市町村の行政区域は、ほとんどが江戸時代の幕藩体制を引き継いだ明治の廃藩置県の名残りである。
 明治以降、約一三〇年間で、人口は三・八倍に増え、通勤・通学、買い物などの生活圏・経済圏は予想以上のスピードで拡大してきた。しかし、狭い行政区域に押し込められた行政運営は、社会経済活動の領域と合致せず、非効率で、最終的には住民の負担を増大させている。
 膨張を続けてきた人口が、見通しどおり二〇〇七年以降、減少に転じれば、地方自治体の人口規模はさらに小さくなる。当然、収入も減少するが、新たな行政の仕事は増大する。
 二〇〇〇年四月にスタートする介護保険の運営主体は地方自治体である。要介護者を六段階に認定するなど、緻密で手間のかかる作業が待ちかまえている。これらを遺漏なく処理する実務能力が、小規模な自治体にあるとは到底思えない。廃棄物の処理なども、単独の市町村では手に負えないほどになっている。
 私は、地域を支える自治体がパワーアップするには、合併が最善の道だと考えている。地域の歴史・文化、生活・経済圏が一体となった市町村が互いに手を取り合い、大同団結することによって、自治体の力量は飛躍的に増大するはずだ。
 その適正な規模は、地域の実情、住民の意思が最大限に尊重されるべきだが、最小でも三〇万人以上は必要だろう。
 私の構想では、行政区域の見直し・再編により、人口三〇万人以上、平均五〇万人規模の広域自治体が全国で二五〇ほど誕生することになる。これが、二一世紀の地域の暮らしをしっかりと守る行政単位になるだろう。

横並びのシステムを断つ
 合併を実施すれば、自治体行政組織のスリム化によって人件費、議会費など内部経費が大幅に節減される。その分を地域住民に対するサービス、福祉、街づくりに回すことができる。同時に、深い専門性を持った自治体職員を養成することによって、個性豊かな地域創出が自前で立案、実現可能となる。「地方には自立の能力も人材もない」という既成概念をひっくり返さなければならない。
 二五〇カ所程度の基礎的自治体が、政策実現、住民サービスで競い合えば、「ハシの上げ下ろしまで指示する」と形容される中央省庁の許認可や補助金を通じた「口出し」は意味を持たなくなるだろう。その結果、中央から地方への権限移譲も進むことが期待される。
 配分方式がきわめて難解な地方交付税交付金も、オープンで簡明な方式に見直す必要がある。財政調整制度としての本来の役割に限定縮小すべきだ。同時に、地方自治体の課税自主権を復活させ、所得税などの税源も地方に移譲し、自主財源を大幅に拡大する方向に変えていかねばならない。
 国の補助金、交付税による横並びの地方行政が、回りまわって国家の財政赤字を増大させている現在のシステムを、勇気を持って断ち切らねばならない。活力があり、自己責任をまっとうする地方自治こそ「地方分権」の最も望ましい姿だ。
 そのためにはまず、地方自治体自らが徹底した行政改革を進めなければならない。住民に供給されるサービスを、自治体がどこまで担うべきかを検討し、住民参加を促していく姿勢が求められる。

南と北からの地域戦略
 地方には独自の風土があり、それぞれの歴史がある。この個性を地域に閉じ込めておく必要はない。地域の独自性を背景にした国際交流を積極的に推進すべきだと考える。私は、その先導的役割を沖縄と北海道に期待する。
 古くから中国大陸、台湾、東南アジアとの往来が絶えなかった沖縄。その交易・交流の積み重ねによって花開いた文化のように、沖縄しかなし得ない「アジアへの架け橋」としての役割がある。
 太平洋戦争で唯一の地上戦を経験し、戦後は米軍基地の島として苦難の歴史もあわせ持つ沖縄には、既存のパラダイムを超えた振興策を講じるべきだ。二〇〇〇年サミット開催を契機として、さらに自然や文化を生かした観光、自由貿易地域の拡充、国際ハブ空港の設置、アジアの留学・研修拠点整備などを積極的に進めたい。
 北海道は、世界の同緯度にある国や地域と「北方圏交流」を実践している先駆者である。北方四島との人的交流にも着手し、領土返還の実現に備え、地域として努力している。自然の豊かさは日本屈指であり、農・海産物、酪農を中心とする食料基地としての比重は高まるばかりだ。
 北に開けた国際交流拠点としての環境整備はもちろん、恵まれた自然を生かした環境重視型、知識・技術集約型の産業を重点的に育成・誘致することが不可欠である。
 南と北からの個性ある地域戦略が、日本全体を揺り動かし、地域間の競争が生まれれば、そのときこそ、下から積み上げた「地方分権」が現実となるだろう。

「道州制」の導入
 人口三〇万人以上の基礎的自治体が充分に機能すれば、おのずと現在の都道府県の役割は減少する。そのときこそ、「道州制」を視野に入れた議論のチャンスとなろう。
 全国を一〇程度のブロック(道州)に分け、風土・文化に応じた独自の施策を推進する形こそが、どのような「激震」にも耐え得る二一世紀の日本を支える柱となる。
 これまでのように、国が地方を支配するのではなく、地方が国を変えるという「風」を起こすことだ。一極集中ではなく多極分散、しかも権限の移譲に応じた責任の明確化が、地方のやる気を促し、競争を生み、ヒト、モノの流れが常に絶えない国土をつくるはずである。
 現在、国の審議会で、首都機能移転問題について論議が行なわれている。交通網、情報通信の発達で、首都機能が東京に集中しなければならない時代は終わった。
 しかし、東京とは別の一極をつくって新たな集中を引き起こしたのでは意味がない。コンパクトな首都に、国会と小さな中央官庁を置くのであれば、財政負担も重くなく、環境への影響も最小限に抑えられる。地域振興や大震災などの備えにも役立てる多面的な視点で、首都機能の移転を進めるべきである。

地方よ、自立せよ
 歴史に「もし」はタブーだが、一九四九年のシャウプ勧告(米国の学者・シャウプを長とする日本税制調査団がマッカーサーに示した勧告。国税は直接税を基本とし、地方税は独立税とするなど、戦後の日本税制の基礎となった)が完全に実施されていれば、日本の地方自治は大きく変わっていただろう。
 この勧告に盛り込まれた国庫支出金の全廃、基礎的自治体への行政権移譲、中央政府の事務を国家の存立にかかわる必要不可欠なものに制限するという部分は、中央官僚の強い抵抗にあって、結局、日の目を見ることはなかった。
 だが、半世紀の曲折を経て、国家のあり方を思い切って変えることが可能なほどに日本は成熟した。日本古来の美しい伝統は未来へ大切に継承すべきだが、疲弊した仕組みに引きずられる必要はない。大胆に勇気を持って変革すべきだ。
 そのために、現憲法が規定する「地方自治の本旨」を見つめ直し、相当程度の「自主立法権」「自主行政権」「自主課税権」など、地方自治体の基本的権利を明確に主張すべきときがきたと感じている。