第17章 年金、医療、介護・福祉、少子化対策


年金改革
 日本の人口は約一億二〇〇〇万人、六五歳以上の高齢者は約二〇〇〇万人、そのうちおよそ九七%の人が今、年金を受け取っている。大会社の社長や大地主は別かもしれないが、ほとんどの人にとって、年金は日々の生活のためにかけがえのない大事な資金である。これが突然なくなってしまうことは考えられない。
「安心できる社会」にとって、老後の所得保障制度は最も重要なヒューマン・セキュリティである。老後の不安を解消することは、国民の消費マインドを高め、経済の活力にも通じる。年金制度の信頼を揺るぎないものとすることは、きわめて重要な政策課題である。

公的年金と私的年金
 私的年金のひとつに企業年金がある。厚生年金などの公的年金に上乗せされる三階建て部分で、大きな会社が独自に持っていることが多い。新入社員は二〇歳くらいから保険料を払いはじめるが、実際に年金をもらうのは四五年も先のことである。長生きすればさらに二〇年ぐらい会社との関係が続く。
 しかし、六〇年も七〇年もたったとき、自分の会社はいったいどうなっているだろうか。ひょっとしたら、なくなっているかもしれない。年金はそんな先のことを約束する制度である。だから年金は、運営する者にとっても恐ろしい。
 とても潰れるとは思えない世界的大企業が倒産する時代である。まして一般企業の消長は激しい。業績が好調で従業員が増えているうちはいいが、リストラが進んで支える人が減ったり、思うように運用収入が入らなかったりすると、年金支払いのため、経営者は塗炭の苦しみを味わう。
 一方、年金を当てにしていた退職者は、昔約束した年金はどうしてくれるということになる。だから、年金の本当の怖さを知っている会社は、独自の企業年金にあまり手を出さない。
 こう考えると、一〇〇年でも二〇〇年でも責任を持って年金を運営できるのは国しかない。だから公的年金が重要なのである。私的年金はプラスアルファの選択肢を提供する役割があるが、公的年金に代わることはできない。大切なことは、公的年金の信頼を確固たるものとすることである。

貯蓄と年金
 他人の世話にならなくてすむよう、蓄えに励み、安心できる老後を自分で設計しようとする個人の自助努力は大事である。貯蓄も立派なセキュリティの手段であって、今話題になっている401Kも本質は貯蓄である。
 ただ、貯蓄では実質価値の保証はできない。インフレによって、今の貯金が五〇年後には紙くず同様になっているかもしれないが、そのリスクは甘受しなければならない。
 金融資産の管理・運用には、自己責任がいっそう厳しく求められるようになるだろう。運用に成功すればいいが、万一、損が出ても自分の責任と割り切らなければならなくなる。
 このような認識の下に、今後はこの分野でも、多様な選択肢が提供されることが望まれる。
 年金は、貯蓄とは基本的に構造が違う。保険という仕組みを使った、社会連帯による助け合いの制度である。
 積み立てた保険料は、払った人の貯金となっているのではなくて、保険事故を起こした人の保険金にまわっている。保険事故とは、この場合「長生き」である。年金をもらう前に死んでしまえば、保険料を掛けただけ損となるが、長生きした人を社会全体で支える助け合いの制度として合意したものだから当然のことだ。
 強制加入の公的年金制度ならば、年金の実質価値が維持できる。これは私的年金や貯蓄ではできない相談である。
 年金は、もともと工場労働者やサラリーマンのためにつくられた制度だった。個別企業が潰れても影響されないように被用者全体をカバーし、労使折半で費用を負担する社会保険の仕組みである。自営業者の場合は未納未加入が問題になっているが、サラリーマンの場合、保険料は事業所を通じてほぼ一〇〇%支払われるので、現実にサラリーマン全員が助け合いに参加する社会連帯の制度となっている。
 少なくとも被用者のための公的年金は、現在もきちんと機能している。国民に不安があるからといって、これに代わるサラリーマンのための仕組みを提供しないで、厚生年金を廃止・民営化することが、「安心できる社会」のセキュリティになるとは思えない。

「社会保険方式」と「税方式」
 年金は、現役世代が退職者世代を助ける制度だ。現役は自分が貢献した寄与度に応じて、退職者になったときに助けてもらう権利を持つ。現役時代に多く寄与した人は高額の給付を受けるし、寄与しなかった人は給付を受ける権利はない。だから、金持ちであっても保険料を払った以上は給付を受ける権利がある。これが、自立自助の精神に則った「社会保険方式」の哲学である。
 これに対して、国が丸抱えで、保険料を払わない場合でも年金を支払う仕組みが「税方式」である。
 国民にとって、こんないいことはないように見えるが、単に保険料負担が税負担に代わっただけだ。税金を払った本人は、年金のためにいくら負担したかはわからない。また、国民の血税が財源だから、大会社の社長にまで年金を払う必要はない。
 要するに、年金への寄与と受益の関係が切れている制度が「税方式」である。国庫負担の割合が増えると、徐々に社会保険方式から税方式に移行すると誤解している人がいるが、そうではなく、全額税財源のときだけ、年金額が本人の貢献度と無関係に決まるので、税方式となる。
「税方式」もたしかに一つの哲学だ。無年金者をなくし、金持ちから税金を取って低所得者に給付することで社会正義を実現しようとする平等の思想は、旧共産主義国や社会主義の流れだろう。また、全国民一律一様の「国民皆年金」の考え方になじむところがある。
 どちらがよいかはそれぞれの考え方だが、私は、自分が保険料を払ったことの反映として年金受給権をとらえるほうが、自立自尊の精神に沿っていると思う。

基礎年金
 年金制度をめぐって、今日、さまざまな問題が指摘されている。国民年金の未納未加入者が多いこと、無年金者の発生をどうするかという問題、学生の強制加入の是非、女性の年金問題などなどだ。これらを解決するには、結局、税方式の年金のほうがいいのではないかという議論になる。
 前に述べたように、年金制度はもともと被用者年金から始まった。これを自営業者や農業者にも広げたいということから、国民皆年金の考え方の下に国民年金ができた。その後、年金一元化の考え方から、縦割りでなく、各制度共通の一階建て部分として衣替えしたのが基礎年金である。右に述べた問題は、年金制度全体ではなく、自営業者を中心とした旧国民年金の問題に集約される。
 公的年金の建前が強制加入であるにもかかわらず、自営業者については、事実上任意加入制度となっている点をどう考えるか。
 一五〇万人にのぼる未加入者のうち、かなりの部分は都市部若年層で、半分以上は個人年金に入っているという調査結果がある。社会保険方式の哲学から言えば、制度に加入しないのなら、年金をもらえないのは当たり前だ、そういう人を救うために税金を使って年金を出していては、まじめに保険料を払った人はどうなるのか、となる。
 ドイツの年金は現在も被用者年金制度であり、自営業者はそれに任意加入できることになっている。自営業者を任意加入にしても制度は成り立つのである。
 要は、すべての国民に一律年金を支給することを優先するか、自立自助の精神で社会連帯に参加する人を中心に制度を考えるか、ということだろう。
 日本の場合は、国民皆年金の思想の下に、保険料を払えない人でも、国庫負担部分(給付額の三分の一)は、年金が支払われる。これは、自立自助の精神を生かしながら、平等の考え方をとり入れて制度を修正したものだ。
 税だけを財源にせよというのは、平等思想の最も極端なやり方で、目的と手段のギャップが大き過ぎる。保険料を払った人も払わない人も同じだけの年金が支給されることについて、国民は本当に納得できるだろうか。
 もし税方式を導入する場合には、この点について、財源を負担する納税者に納得してもらわなければならない。特に消費税を増税するなら、年金受給者たる高齢者も年金財源の新たな負担者となることを忘れてはならない。

年金改革の方向
 私は、年金制度を見直す際には、公的年金と私的年金の役割分担の視点が重要だと思っている。
 すでに述べたように、長期にわたって実質価値を維持できる公的年金の役割は、私的年金では代用できない。その意味では、「公」が主で「私」が従である。
 しかしそれは大きな政府を意味するものではなく、公的年金の守備範囲は、「長期」「安定」という使命を果たし得る範囲内である。大きな給付は大きな負担を招き、国民の負担能力を超えてしまう恐れがある。年金の水準にあまり期待してはいけない。これがまさに、「適正負担・適正福祉」である。
 幸いサラリーマンの年金は、制度の屋台骨がしっかりしている。少子・高齢化の進展により、将来の年金財政を支え切れないのではないかという不安に対しては、給付と負担の見直しを行ない、制度の根幹を揺るぎないものとすることが重要だ。
 基礎年金のうち、自営業者の制度の部分(一号被保険者)については、大胆な見直しが必要だ。少しくらい保険原理を曲げても、自営業者や学生が加入しやすい制度を検討していいのではないか。
 国民年金には国庫負担があるので、個人年金より有利なはずだが、もし加入したくないのなら、自営業者には任意加入の制度と割り切るのもひとつの考え方である。その場合は、特に自営業者の老後の保障として、私的年金の充実が求められる。
 私的年金は公的年金を補完する役割を持つ。具体的には、個人のさまざまなニーズに対応して、多様な選択肢の提供が求められる。特に確定拠出型年金や個人年金などの商品開発は新しい分野として期待できる。政府もそれなりの環境整備が必要だろう。ただし、これはあくまで自己責任をともなうリスク商品であって、公的年金に代わる機能は果たせないことを充分認識すべきだ。
 公的なのか私的なのかわからない「ヌエ的」な存在が厚生年金基金だ。基金は、厚生年金の一部と独自の企業年金の資金を合わせて運用することが認められている。企業は、基金をつくった当初は、支払いが少なく保険料がどんどんたまるから、会館などをつくって運用に精を出すことが多い。だが、やがて受給者が増えてくると積み立て不足が露見してしまう。
 私は、「公」の分野を最小限にとどめ、責任を明確化するために、現在、基金が行なっている厚生年金の代行部分を廃止すべきだと考える。
 同様に、厚生年金本体の資産運用も、よほど慎重にやってもらわねばならない。厚生年金の積立金は大切な年金原資であり、しかも強制的に徴収されたものだ。いいかげんな運用は困る。積立金の「自主運用」と聞くが、いったい誰の「自主」なのか。大蔵省の役人に対する厚生省の役人の自主運用というのでは五十歩百歩だ。「高利運用」とも聞くが、ハイ・リターンはハイ・リスクなのだ。
 運用してみたら高利どころか元本まで失ったとか、米国企業の餌食になってしまったのでは、国民に申し開きができない。内部管理体制を確立し、国民に対する責任を明確にして、透明性の高い運用を行なうことが重要である。

医療改革
 急速な人口の高齢化、医療の高度化などにより医療費は増大を続ける一方、経済基調はかつてなく厳しくなっている。一九九〇年代に入り、国民所得の伸びが毎年一%台にとどまっているなかで、医療費は年平均六%前後増加しており、この伸びと経済成長との不均衡が拡大している。
 こうした状況が続けば、二〇一〇年には医療費の国民所得比は一三%となり、現在の一・八倍の負担が必要になる。二一世紀の少子・高齢化社会でも、すべての国民が安心して良質な医療サービスを受けられるよう、医療制度と国民皆保険制度を堅持していかなければならない。そのために、医療提供体制、医療保険の両面にわたる基本的な改革が必要である。

医療の情報化
 医療提供体制については、国際的にも長いとされる入院期間、「三時間待ち三分間診療」と言われる大病院の外来医療、高齢者の介護を主なニーズとしている社会的入院、医療機関や医療従事者の地域的偏在などの問題がある。
 今後、質の高い医療の確保のためには、診療所の役割をより重視しつつ、医療機関の役割分担の明確化を図る必要がある。また、人口当たりで世界でも最高水準にある病床数の削減や、将来的には過剰傾向にある医師数の抑制などを進め、医療のニーズに見合った効率的な医療体制を確立していかなければならない。
 生活習慣病が医療のなかで大きなウエイトを占める時代であり、生涯を通じてその予防に努めることが大事である。医療の生涯のヒストリーを記録して予防に役立てるため、プライバシー保護に充分留意しつつ保険証を個人別にICカード化することを検討してはどうか。このことにより、検査の重複の防止、医療事務の効率化も期待される。また、従来の考え方を変えて、予防のための相談や診察を医療保険の給付対象とし、診療所が中心となって対応施策を進めるべきだ。
 質の高い医療を確保するため、患者の立場を重視し、患者と医師との信頼関係を保ちながら、医療の情報の提供を進めていくべきである。

医療保険制度の改革
 医療保険制度については、医療供給体制の整備が進んだこととあいまって、高度な医療の保険適用や高額療養費制度などによって、国民誰もが公平に医療を受けることが可能となっている。
 その一方で、さまざまな問題点も指摘されている。今後、医学・医術の進歩によって医療は高度化し、また、高齢化が進行することから、医療費が増大していくことは避けられない。しかし、外来患者の大病院への集中、高齢者の社会的入院、過剰な検査や薬剤使用などの高医療費の構造も、医療費の増大の大きな要素となっており、これらを是正していく必要がある。
 このため、薬剤や検査、医療機器については、その使用の量や頻度によって医業経営が左右されることのないように価格制度を改革する。同時に、医療技術の評価を高め、モノに頼らない医療が可能となるようにすべきである。
 また、診療報酬についても、総合的、体系的な見直しを行ない、医療機関の機能にふさわしい評価、技術の重視、出来高払いと包括払いのそれぞれの長所を組み合わせた再構築などといった改革を進めなければならない。
 医療保険制度の枠組については、各界から多様な提言や検討が示されている。重要な視点は、増大する高齢者の医療費を医療保険制度全体として公平に負担できること、医療費の効率的な使用を促す保険の単位を設定し、その運営に生かすことではないかと思う。

介護・福祉の充実
介護保険制度の円滑なスタート
 寝たきりや痴呆などの要援護高齢者は、現在二〇〇万人にのぼっており、二〇一〇年には二八〇万人、二〇二五年には五二〇万人に達すると予測されている。長寿社会では、介護は国民の誰にでも起こり得るものとなってきている。
 介護の状況は、三年以上寝たきりの人が五割強であり、また、介護をしている人の八五%は女性で、六〇歳を越えた介護者が五〇%以上を占めている。介護の長期化、重度化、そして、家族介護の「介護疲れ」が、深刻な問題となっている。
 二〇〇〇年春から導入される介護保険制度は、このような厳しい介護の状況を飛躍的に改善する可能性を持った新たな保険制度である。定着するまでには時間がかかるだろうし、乗り越えなければならないハードルも多い。
 だが、運営が安定すれば、怪我や病気のときに、医療保険があるので、病院に行けるかどうか心配することがないのと同様、介護が必要となったときに、介護サービスを受けられるかどうか心配する必要がなくなる。
 また、家庭での介護のために仕事を断念した女性が、再び社会に参加することが可能となったり、介護の不安のために備えていた貯蓄のかなりの部分を消費に向けることができ、経済の活性化に寄与するといったことも考えられる。
 介護保険のスタートに際しては、国による市町村間の財政力の格差から生じる不均衡の是正、サービス供給が不足する地域における緊急的な整備、マンパワーの確保などの課題があり、全力を挙げてその充実に取り組むべきだ。介護を受けられるか否かで、国民の間に不公平感を招くようなことがあってはならない。
 中期的な介護の課題は、入所して受けるサービスを、可能な限り住宅プラス在宅サービスの方向へ転換していくことであろう。自らの安定した環境で介護を受けることは、本人や家族にとって望ましい効果が期待できる。この実現のために、福祉部局と住宅部局の密接な連携と地域における計画的な取り組みが必要である。

地域福祉、在宅福祉の充実
 障害者保健福祉施策の対象となる障害者の総数は、約五〇〇万人であり、このうち身体障害者が二九五万人、知的障害者が四一万人、精神障害者が二一七万人と推計されている。重度の障害者は約四割であり、また、全体として高齢化の傾向にある。
 現在、一九九六年度から二〇〇二年度までの七カ年計画で、保健福祉施策のみならず、住宅、教育、雇用など障害者施策を定めた障害者プランに基づき、計画的に政策が進められている。
 障害者施策の基本理念は、ノーマライゼーションとリハビリテーションである。この理念は、障害者が障害のない人とともに生活し、全人間的復活を目指すというものであり、障害のない人にとっても多くの示唆を含んでいる。
 障害者施策の基本的方向は、地域福祉・在宅福祉であり、障害者が地域で通常の生活を送ることができるよう支援することである。グループホームや訪問介護などの在宅サービス、通所の施設などの整備が進められてきており、今後は、市町村を基本として、サービス提供体制の一元化を図り、施策の総合化を進めなければならない。
 また、障害者の権利擁護、芸術、スポーツなどへの参加、情報・通信などのソフトの分野における障害者のための事業の充実は、障害者の自立と社会参加を推進する上で重要である。
 障害の重度化・重複化への対応は、医療機能と連携した施設サービスが中心となる。その場合、障害者自身と家族の希望にそえるよう、重症児の通園事業、デイサービス、訪問介護、短期入所などの在宅サービスを充実していくことが大事である。

少子化対策
 人口の年齢構成の変化が社会に及ぼす影響は、高齢化だけではなく、少子化も重要である。少子化に至る社会的背景としては、晩婚化と出生率の低下がある。
 晩婚化の背景としては、女性には、仕事、家事、育児の負担の重さや結婚や家庭生活の魅力の低下、男性には、結婚圧力が弱まっている社会風潮などが考えられる。
 夫婦が持ちたいと思っている理想の子どもの数と実際の出生数との間には、〇・三人以上の開きがある。子育ての経済的負担、育児の心理的・肉体的負担感、仕事との両立の難しさなどが理由だろう。
 まず、子育てと仕事の両立を支援するため、雇用の面では、育児休業制度の充実や弾力化、さらには、出産・育児のために退職しても再就職に明るい希望が持てるような雇用慣行の見直しなど、雇用環境を整備し、子育てをしながら安心して働ける職場づくりを進めるべきだ。
 また、乳児保育や低年齢児保育の待機を解消するとともに、延長保育の実施率を高め、仕事をする母親が保育サービスの確保に苦労することのないようにしなければならない。
 規制や基準の緩和も進め、駅前保育のように、多様な保育サービスが柔軟に提供できるようにする必要がある。公立の保育所が、乳児保育や延長保育を充分に実施していないことについても、目標を決めて改善しなければならない。
 都市のラッシュ・アワーは、妊産婦や乳幼児を抱えた親には過酷なものがある。一定の時間、各駅停車の車両の一部に、「エンゼル・トレイン」を導入することも検討したい。これには、動く「ミニ子育て支援センター」の機能を持たせることも考えられよう。
 いずれにしても、「男は仕事、女は家事・育児」という旧来の固定観念に縛られず、若い世代の価値観の多様化を踏まえて、子育て支援施策を推進していきたい。