第16章 社会保障の改革


社会保障の意義と水準
 生涯を通じて健康で安定した生活を送ること、自分の意欲や能力、知識を生かし、また自らの個性に合わせて創造的な人生を送ること、病気にかかったときや長い高齢期においても安心して生活できること、障害があっても介護が必要となっても人間としての尊厳をまっとうできることなどは、国民一人ひとりの願いである。
 このような願いが実現できるように支えることが、社会保障の役割でなければならない。
 社会保障は、今日では、出生、育児、病気や負傷、雇用や失業、介護、老齢など、まさに「ゆりかごから墓場」まで、個人だけでは対応することが難しい事態に対して幅広く備えるものとなっている。
 一九四六年に公布された日本国憲法に基づき、第二次世界大戦後の日本の再興と建設を目指して、社会保障も新たに出発した。その後、一九六一年の国民皆保険・皆年金を経て、産業構造の変化、高度経済成長、都市化の進展、生活水準の向上など日本の経済社会の変化を踏まえながら、社会保障の充実が図られてきた。
 現在では、平均寿命の高さや乳児死亡率の低さに示されるような健康水準、医療の受けやすさや質、年金の給付額などで見れば、欧米の先進諸国と比べて、ひけをとらない水準となっている。

ヒューマン・セキュリティ
 このような歴史的発展と役割を踏まえて考えれば、医療や健康、雇用、育児、介護、年金といった幅広い分野における社会保障は、道路、鉄道、港湾、空港などの交通網の整備や、水道、下水道、公園などの公共施設の整備、あるいは教育と同様に、現代の私たちの生活に不可欠なインフラストラクチャーといえる。
 これは、社会的に供給されるサービス(社会サービス)という性格を持つが、なぜ社会的に供給されねばならないのかと言えば、個人の力だけでは対処できない場合における安全網(セーフティ・ネット)だからである。このことは、生命や生活にかかわる「ヒューマン・セキュリティ」としても位置付けられる。
 同時に、忘れてならないのは、医療保険や年金保険などの社会保険制度の根幹にある「相扶共済」という理念である。社会保障は、自立した個人が、自ら努力し、自らを助けるという自立自助の精神を基本とし、その上でお互いに支え助け合うという社会連帯の考え方に基づいているのである。

これまでの社会保障の負担
 社会保障については、現在の厳しい経済状況の下で、その給付のあり方とともに、負担の水準について国民的な関心が高い。
 負担の面で見ると、これまでは、国民経済でも家計でも、欧米諸国と比べると、相対的に低い負担で社会保障の充実が図られてきた。
 租税・社会保障負担の総額が、国民所得に占める比率で見ると、一九九三年では、日本は三六・五%で、スウェーデンの七〇・四%、フランスの六二・三%、ドイツの五六・二%、英国の四六・二%よりはかなり低い水準であり、米国の三六・五%と同水準である。
 そのうち、社会保障負担については、日本は一二・一%で、フランスの二九・〇%、ドイツの二四・九%、スウェーデンの一九・九%より低く、英国の一〇・二%、米国の一〇・六%よりやや高い水準にある。
 また、家計における税や社会保険料である非消費支出の割合で見ると、日本では、収入全体の一六・五%、支出全体の二〇・〇%であり、支出との比率で比較しても、ドイツの二九・一%、英国の二二・三%より低く、米国の一八・九%とほぼ同水準となっている。
 所得のレベルで比較しても、給与所得三〇〇万円、五〇〇万円、七〇〇万円のそれぞれの世帯で米国とほぼ同水準であり、ドイツ、フランス、英国に比べて低い負担水準となっている。
 日本における家計での税・社会保険料の負担の変化を見ると、この三五年ほどで、収入全体に対し、七・七%から一六・五%と二倍程度となっている。社会保障給付が、この間に八五倍に達していることを考えると、経済成長にともない家計の収入が伸びるなかで、税・社会保険料負担の増加に緩やかに対応しながら、社会保障給付は、飛躍的な充実が図られてきたと言えるだろう。

二一世紀の国民負担 - 適正負担・適正福祉
 問題は、少子・高齢化の進行にともなう二一世紀の国民負担がどうなるかである。
 一九九九年度では、税が二二・三%、社会保障が一四・三%で、国民負担率は三六・六%と見込まれている。将来見通しについては、二〇二五年度の社会保障負担は、名目国民所得の伸びが三%のケースで、二九・五%、二%のケースで三三・五%、一・五%のケースで三五・五%とされており、国民負担率は、五二〜五八%程度に達するのではないかと推計されている。
 この水準は、現在のスウェーデン、フランス、ドイツよりは低く、米国、英国よりは高い。国民所得の伸びが下がった場合に負担の割合が大きくなるのは医療であり、介護は二・五%と将来ともに相対的には大きくない。
 日本の将来の水準については、北欧流の「高福祉・高負担」でもなく、福祉サービスを切り詰めた「低福祉・低負担」でもなく、将来を担う世代の負担を充分考慮して、経済成長の果実をできるだけ大きくしながら、「適正負担・適正福祉」を目指したい。その際の国民負担率は、二一世紀を通じて五〇%を超えないことを目標とするのが妥当だと考える。

経済社会の変化を踏まえた改革
 二一世紀に向けての社会保障の安定化のための改革は、まず第一に、これからの日本の経済社会の変化を踏まえたものでなければならない。
 少子・高齢化と人口構成の変化については、年間の出生数が一一九万人と戦後の第一次ベビー・ブーム時代の半分弱となり、合計特殊出生率は一・三九とドイツ、イタリアと並んで著しく低下しているため、総人口は二〇〇七年の一億二七七八万人をピークとして、減少に転じると予想される。
 ただし、社会の労働力の中核を占める生産年齢人口(一五歳以上六五歳未満)の割合は、一九九〇年代は戦後最も高い状態にあり、二〇一〇年頃には一九五〇年代と同じレベルにまで低下する。仮に生産年齢人口を、二〇歳以上、七〇歳未満として考えてみると、二〇〇〇年頃がピークになり、その後減ってはいくが、二〇一〇年頃で一九九〇年頃の水準となる。
 世帯は、一九七〇年には、平均世帯人員が三・四一人、単独世帯数が六一三万世帯だったが、二〇一〇年では、平均世帯人員は二・五五人、単独世帯数は一三七三万世帯になると見込まれる。
 また、少子化の背景にある晩婚化の進行を見ると、この二〇年間で二五歳〜二九歳の女性の未婚率は約二〇%から約五〇%に、三〇歳〜三四歳の男性の未婚率も約一五%から四〇%弱にまで増えている。五〇歳の時点でも未婚の場合を生涯未婚率として表しているが、これは女性五・一%、男性八・九%にのぼる。一方、夫婦の理想とする子ども数が二・六人前後であるのに対し、実際の子ども数は二・二人前後であり、この状況は二〇年間変わらない。
 このような少子・高齢化社会の本格的な到来と、人口構成の変化、家族の形態の多様化、さらに、経済の国際化、グローバル化、産業の構造転換などといった未来の社会の姿を前提として、変化する社会に適合するように、社会保障制度全般を通じて改革する必要がある。

発想の転換が改革の基調
 改革のために、全体の基調として大切なことは、発想を大胆に転換することだ。
 たとえば、七〇歳までを現役として考えてみよう。すると、新たな将来の人口構成を反映して、雇用や社会参加、ボランティアなどの個人の意欲や能力、知識を生かすことができる領域は一挙に拡大する。
 一九九七年のデンバー・サミットの共同コミュニケに示された「活力ある高齢化」や「エイジレス」などへの発想の転換を行なうことが大切である。
 高齢者は扶養されるものという古い固定観念にとらわれてはいけない。年齢のみで世代を区別することなく、高齢者を社会の主体として位置付けるとともに、それを実現する施策を推進しなければならない。
 六五歳までは、年齢のみを理由として職業からの引退を求めない社会にすれば、雇用はもとより、社会参加のできる広範な分野で、元気な高齢者が、その経験を生かして活躍し、社会を支える役割を果たすことが可能になる。
 少子化対策では、社会保障の政策的な力点を、「子どもを産み育てることに夢が持てる社会」をつくることに置き、女性の就業や社会参加と家庭生活の両立、子育て支援の充実、男女の機会均等などの推進を図ることが求められる。
 このような視点に立って社会保障の各分野を再点検してみると、給付を受ける人々と負担をする人々の関係について、現状を固定して考えてきたことがわかる。これからは、より幅広い見地から柔軟に検討し、改革を進めることが必要だ。

制度横断的な再編成
 次に、社会保障改革の方向についてである。
 第一には、社会保障を総合的にとらえ、制度を横断するような形で運営し、効率化を図ることである。
 一九九五年度の社会保障給付費の総額は六四・七兆円である。その内訳は、年金が三三・五兆円(五一・八%)、医療が二四・一兆円(三七・二%)、福祉などが七・二兆円(一一・一%)となっており、福祉などのウエイトが、西欧諸国では二〜三割であるのに対し、著しく低いのが特徴だ。
 年金や医療の水準は、国民皆保険・皆年金が実現して以来、高齢化の進展に従って飛躍的に改善されてきた。一方、介護や障害者へのサービス、育児支援や家庭機能のバックアップといった少子化対策を、今後は質的にも量的にも充実させていくべきである。
 年金、医療、福祉などの分野については、制度が縦割りとなっているために、社会保障にすき間や重複が生じたり、あるいは非効率になることがないようにすべきだ。このような観点に立って、必要な制度の再編成などを行ない、社会保障全体として効率化を図りつつ、国民の需要に対応する必要がある。
 たとえば、現在、高齢者の医療費は、一般と比べて一人当たり三倍以上の水準となっている。こうした乖離を、青壮年期からの動脈硬化・高血圧・悪性腫瘍・糖尿病・肺気腫や骨の退行性変化といった生活習慣病の予防に取り組むこと、高齢者ケアの重点を医療とともに介護へシフトすること、ターミナルケアのあり方について患者や家族の気持ちを受け止めて再構築することなどによって縮小することを目指す。六五歳以上の人々の医療費が、現状で全体の四五%にも達していることから、相当な効率化が期待できる。
 また、年金水準のあり方についても、介護サービスに不安があるため人々が個別に備えようという場合と、介護保険制度が定着し介護の基本について社会に不安がない場合とでは、老後生活の基礎的な所得保障として公的年金に求められる水準に、かなりの違いが生じる。
 社会保障の全体としての給付と負担については、「適正負担・適正福祉」を目指す考え方が基本となる。国民の生涯のなかで大きな不安となっている重篤な疾病や負傷、高齢期における介護、障害を持った生活などについて重点的に取り組み、また、より自助が期待できる問題については、相応の負担や自助努力との組み合わせをベースに置くことが必要である。
 このような観点から、医療、介護、福祉、年金などの分野を総合的に見て、それぞれの制度における給付やサービスが最も効率的に組み合わされて実施されるよう、絶えず評価していくことが重要である。

自立支援のための利用者本位の仕組み
 社会保障改革の第二は、個人の自立を支援する利用者本位の仕組みの重視である。
 人は、障害を持ったり、介護を要する状態になっても、住み慣れた地域や環境で自立しながら生活を送ることを望む。このことが、ノーマライゼーション(地域で普通に生活することを当然とする福祉の基本的考え)の基本理念である。また、人が「ともに生きる」ことの大切さであろう。
 家族や友人、隣人とともに、あるいは独り暮らしや高齢者のみの世帯でも、できる限り在宅での生活が可能となるよう、在宅医療、在宅介護をはじめ多様な需要にきめ細かく対応するサービス提供体制の整備に努める。自立を支援していく利用者本位の仕組みづくりが必要なのだ。
 また、サービスについての情報を開示して提供する。そうなれば、利用者が良質で効率的なサービスを適切な費用で選択できるようになる。こうして、柔軟なサービスの供給体制が構築されるとともに、住み慣れた環境で可能な限り自立を図ることができる。制度全体としても、より大きな効果を実現し、効率性も高めることができるのだ。

「公」「私」の役割分担と民間活力
 社会保障改革の第三は、「公」と「私」の適切な役割分担と民間活力の導入である。
 基礎的、基盤的な需要に対しては公的に対応し、それ以上のサービスを求める場合には個人が自由に選択することを基本として、「公」と「私」の役割の分担を図る必要がある。
 また、公的部分が担う分野であっても、サービスの供給主体として、民間の参入を進め、競争を通じて、より良質で効率的なサービスが供給されるようにすべきだ。たとえば、地方公共団体における福祉施設や在宅サービスについて、民間の社会福祉法人や地方版の独立行政法人などの参入が進み、公的運営主体の役割は、そのサービスの評価を行なうことというように変わるだろう。

公正、公平の確保
 最後に、公正、公平の確保である。
 高齢者世代と現役世代の間、現役世代相互、高齢者世代相互でも、その経済状況や健康状態などは多様化してきている。一概に、高齢者世代と現役世代という比較だけでは、かえって不公平となることもあり得る。したがって、社会保障の給付と負担の両面において、国民のそれぞれの状況に即して均衡のとれた制度となるよう常に検証し、公平を確保する必要がある。
 また、社会保障制度に対する信頼を得るためには、給付の基準の明確化、負担への理解、手続きの透明化、情報の開示などにより、公正な制度運営を図らなければならない。