時空を超えてふたりの「日本大好き人間」が出会った。アドレスを教えあったふたりは、現状の日本への違和感をインターネット・メールに託して確かめあうことになった。ひとりはドイツから、もうひとりは東京・永田町から。 「歯がゆい国・日本」「もどかしい親と歯がゆい若者の国・日本」「歯がゆいサラリーマン大国・日本」「歯がゆい日本国憲法」など一連の「歯がゆいシリーズ」で、現代日本の病根を鋭く指摘しているドイツ在住のノンフィクション作家・クライン孝子さんと、憲法改正論の第一人者・山崎拓が時差を超えて交わした「目からウロコ」のメール対談。  

クライン孝子氏経歴
1939年 満州に生まれる。
1968年 初渡欧。
チューリッヒ大学でドイツ文学、
フランクフルト大学で近代西欧政治経済史を学ぶ。

  現在、フランクフルト在住。夫はドイツ人。一男あり。
EUプレスクラブ、ドイツ婦人ジャーナリスト連盟会員。
ドイツ政界・メディア界と密接な関係を持つ。  
1997年、「歯がゆい国・日本」がベストセラー。
2000年7月、「歯がゆい日本国憲法」上梓。    

1 クライン孝子→山崎 拓
2000年10月3日
つい最近、ご高著「2010年日本実現」読ませていただきました。生意気に申し上げて失礼ですが、政治を司る方々にはこうしたスタンスはぜひ必要かと存じます。結局、地道にこつこつ、仕上げていくしかないのではないでしょうか。憲法はその原点です。やっと国会の中でも、この問題が真剣に取り上げられるようになってきて、よかったと思います。ただし、まだまだ、小さな村的論議が大勢を占めているように思えてなりません。急進的な改革は、革命にも相当しそれゆえ犠牲も大きくなる、それを避けるには緩やかな変化が求められる。その辺の兼ね合いが難しいかと存じます。でも戦後の日本は臆病になりすぎたように思います。それでも、最近、漸次改革に向うのは、いいことですね。大変なお仕事でしょうが、ぜひ実現に向けて、ひとふんばりしていただければと思います。  

2 山崎 拓→クライン孝子

2000年10月4日
メール、ありがとうございました。憲法改正は日本では論議するのもタブーだったのですが、衆・参両院に憲法調査会が設置され、いよいよ平成憲法制定に向けての本格的な動きが始まりました。その意味でも、この夏「歯がゆい日本国憲法」をお出しになったのは、まさにタイムリーな出版だったと思います。 日本全体でしっかり議論して、国家と国民のために国際社会のためにも有益な改正を行えるよう私も全力を挙げる決意です。  

3 クライン孝子→山崎 拓

2000年10月5日
拙著「歯がゆい日本国憲法」を手にしていただき恐縮です。私は日本を出て、すでに30数年になり、実をいうと、日本で憲法改正論議がタブーになっているなどというのは、つい最近まで存じ上げませんでした。そういう意味では、浦島太郎だったのだと思います。日本の憲法が平和憲法だといいますけれど、一口にいってその「平和」とはいったい何をさすのか、どうもその辺がアイマイな気がしてなりません。たとえば「平和」に暮らすためには、「平和」を守る、そのために武器をとることもありうるからです。これは紛争地へ出掛けて感じることなのですが、ああいう紛争地では「平和」は武器を取って、戦うことによって勝ちとる場合が多いのです。そういう意味で日本でいう「平和」は絵に描いたモチであり、もっとこのことばに重みをつけるためにも、日本人は、この意味合いを的確に把握するためもっと真剣に討議がなされていいのではないかと思います。衆・参両院で憲法調査会が設置され、憲法の何たるかを検討するというのは改正云々を抜きにしても大変結構なことだと思います。 私は日本に住んでいないせいもあり、とくに日本のことが気になります。山崎先生の「国家と国民のために国際社会のためにも有益な改正」というご意見には、胸が熱くなってしまいます。どうかよろしくお願いいたします。  

4 山崎 拓→クライン孝子

2000年10月6日
私は現行憲法の「公共の福祉」という表現を「公共の利益」に改めたいと思います。そうすれば「国益」を第一義に考えることが導かれるし、公共の中には国際と地域社会も含まれることになるからです。  

5 クライン孝子→山崎 拓

2000年10月10日
家族があっての地域社会であり、地域社会あっての国家であり、国家あっての国際関係だと思います。そういう意味で、今後日本がアジアに貢献し、さらに世界のリーダー的役割を担ってゆくためには、まず国がしっかりしていなくてはなりません。「国益」というのはそういう観点から見ますと、非常に重要な課題かと思います。そうですよね。「公共の福祉」なるものは、何か言葉をごまかしているような気がしないではありません。そうではなく、明確に「国益」とした方が、日本の国民にとっても、わかりやすいでしょう。同時に、世界を相手にして、外交活動を行うにも動き易いかと思います。  

6 山崎 拓→クライン孝子

2000年10月11日
わが国が21世紀においても活力に満ち、かつ道義心の高い品格ある国家を目指すためには、国家基本法たる憲法の中に新しい国作りの理想を息づかせなければなりません。どのような国家を目指すのか、その方向性・ビジョンが明確になることが第一です。 同じ敗戦国として再出発して、半世紀。ドイツでは、どのような国家に変貌することを目指し、実現してきたのでしょうか。日本が学ぶべきものは何か、双方の歴史をふまえつつ考えてみたいのでいろいろと教えていただきたいと思います。  

7 クライン孝子→山崎 拓

2000年10月13日
これは、いつも口癖のようにくり返し言ってきたことですけれども、日本人はどうも長期的戦略という観点で、ものを見、考えることが苦手ですね。これは日本が隣国と国境線で接していない島国ということもあるのでしょう。もっともそう言ってしまいますと、ではイギリスはどうなの?ということになりますけれど、あの国は17世紀あたりから、欧州大陸には余り関心を示さず、むしろ海洋国として、未開発国を発見し、領地にすることにうつつを抜かしてきただけに、世界という概念を非常に的確に捉えることができます。その点日本は、イギリスとは異なり徳川幕府時代、西洋ではもっとも海外進出華やかな時代に、鎖国をしてきた国ですから、その差はどうしても埋めようがありません。 それはさておき、今や過去になりつつある20世紀を振り返ってみますと、ドイツは2つもの世界大戦に手をつけ、しかも2度とも敗戦の憂き目に遭ってしまいました。その上20世紀の後半には核兵器が登場しています。このような中で、ドイツは領土の約3分の1をポーランドやソ連に手渡してしまいました。その上残った領土も、東西に分断され、冷戦のはざまで、最前線に位置し、敵と味方に分かれてにらみ合うことになったのです。 それだけではありません。20世紀の後半、それまで共通の歴史と文化を持っていた中欧・東欧諸国が、アメリカという欧州では新参者としてしか扱ってこなかった国と、ソ連という野蛮国とが勝手にその中央に線を引いてしまったのです。当時の歴史を振り返りますと、これはスターリンの狡猾さに西側がしてやられたという風に解釈する人もいますけれどそれはさておき、この屈辱は欧州大陸に住んでいる者でなければわからないといいます。 こうした中で西ドイツ側ではアデナウアー宰相がフランスのドゴール大統領と手を組むことで、欧州統合への道を探りはじめました。結局最終的には、21世紀を目前にして、欧州連合とし、通貨統合まで実施してしまったのです。この長期的戦略というのが、日本人には欠けているような気がします。いずれにしろ国境というハードルを取り外すという試みがある程度成功したというのはこの長期的戦略にあると思いますし、こうすることが人類にとって幸福だと信じるリーダーの熱気が欧州人の琴線に触れたのだと思います。そうしますと、今の日本人は、アジアのリーダーとして、その資格は充分にあると思います。恐らく他のアジアの国も一部を除いて、そう思っていることでしょう。ではそのアジアの国に答えるにはどうするか。日本人がおとなになることでしょう。そうすることで尊敬される国、他国から信頼される国になることではないかと私は思います。  

8 山崎拓→クライン孝子

2000年10月16日
多くの日本国民にとって「平和」とは空気や水のように当然そこに存在しているもののように思われています。ですから非武装中立政策のような非現実的な政策に一定の支持があるのだと思います。「平和」が日頃の外交努力や自衛隊の存在、日米安保体制などによってもたらされていることを国民全体がしっかり認識してほしいといつも願っています。  

9 クライン孝子→山崎 拓
2000年10月17日
マスコミの世界音痴報道も、こうした日本の方向づけを狂わせていますね。ある意味では、日本では何か目に見えない情報操作が行われている、そうこちらでは見ています。そうした情報操作を見抜くことすらできない日本人が余りにも多すぎる。これまで日本人が日本だけに閉じこもっていて、世界を知らなさすぎたからだと思います。これからは、もっともっと、日本のとくに若者を世界に放り出して、世界事情を知るように努める教育をすべきなのではないでしょうか。日本では曽野綾子氏の学校における奉仕活動義務化について、いろいろと批判があるようですね。氏は日本の国内事情を心得ておられ、その事情というのをよく呑みこんで、実に穏やかな提案をなさっています。その辺私など、ドイツにおける奉仕事情を見ているせいか、日本の奉仕活動義務化によって、若者を日本以外のアジア諸国やその他南米や、アフリカでの奉仕活動に参加する義務を導入してもいいと思っているくらいです。確かに学校側はもし事故があった場合、どうするかとそのことばかりが気がかりで、皆、腰が引けてしまうのでしょうが、これでは日本はますます世界から取り残されてしまうにちがいありません。何かと事が起ると、すぐ学校に責任を押しつけようとする世間や父兄にもその罪の一端はあると思います。だいいちマスコミも、そうした学校側の手落ちを報道したがる傾向があります。センセーショナルな記事を書くことによって、視聴率を上げたり、部数を増やすというのでしょうが、この辺もまた、何か、日本は根本的に間違いを犯しているような気がしてなりません。失敗はあってこそ次の飛躍に結びつく、日本では何かことが起ると過剰に反応しすぎで、子供にしても、もっと突き放して鍛え抜くことが必要なのではないでしょうか。  

10 山崎 拓→クライン孝子
2000年10月18日
私は現憲法が「押し付け憲法」だったかどうかを根拠とする改憲論者ではなくむしろ半世紀の間定着してきたのは国民が許容できる憲法だったからだと思っています。ただ、半世紀もたち時代に合わなくなってきたのは明白です。ドイツで46回も改正されたことは、今回クラインさんの著書で始めて知りましたがこの間一度も改正されなかったことは世界にも例を見ないでしょう。  

11 クライン孝子→山崎 拓
2000年10月19日
実は私も現憲法が「押し付け憲法」と言い切るのには抵抗があります。実際、あの当時は、明治の富国強兵策の中で日清戦争、日露戦争と世界では途方もない大国と戦争をし、勝った日本が、有頂天になったあげく、アメリカとの戦争でも勝つと信じて、太平洋戦争に突入し、その挙句こてんぱんに負けたわけですから、日本国としては、国民全体の雰囲気として、戦争するのはもう絶対嫌だというのはあったはずです。現憲法はその国民の気持ちを慮って作成されたものだったといっていいと思います。ただ、あの原文を読んでみますと、何を言おうとしているのか、全くわからない。翻訳の悪い訳の典型的なものですし、ドイツのようにドイツ人の憲法学者やそれ専門の議員が1年近くの時間を費やして作成したのと違って非常に乾いた文で、日本のことばの温かさがあの中には感じられず、この感触からどうしても「押し付け憲法」の印象をぬぐい切れないような気がします。しかも、あれから半世紀経った今では、世界情勢がすっかり変わってしまいました。とくに「ベルリンの壁」が崩壊し、冷戦が終焉した今、まるでお経を唱えるように「平和だ」とばかり言っていられない時代に入ってきております。情報通信のめまぐるしい発展で国境というハードルがいとも簡単に越えられてしまう今日、戦争という概念よりはむしろ地域紛争という概念の方が優先しています。例えばテロ戦争などがそうでしょう。つい最近も、ボンにあるドイツの安全保障研究所で、NATOの役割という問題について何人かと討論いたしましたが、現在では、何々戦争というよりはむしろ、テロ戦争による危機管理が重要であると総裁は強調しておられました。 来週は世界最大の書籍見本市がフランクフルトで開かれます。これってとっても面白いのです。さっそく行って参ります。  

12 山崎 拓→クライン孝子
2000年10月20日
ご説の通り、憲法の文章は直訳的で、たとえば「恵沢」という言葉のようにどう訳して良いか困って無理にあてはめたような古い日本語も使われているし、まず現代国語に書き直してみる必要もあります。また国際情勢の大変化、科学技術の発展などによる価値観の変化もあり、環境政策が主張されるようになりましたね。 時代に合わなくなってきたのは9条だけではないのです。環境権を明定すること、首相公選制、地方自治確立のための国と地方の役割分担明確化、権利と義務のバランス、国家と国際関係など幅広く、国としてよって立つ理念を打ち出すときがきたと思っています。  

13 クライン孝子→山崎 拓
2000年10月21日
環境権も大事ですね。ドイツの憲法の中に環境を20aと明記したのは1994年10月27日です。 私は決して軍国主義者ではありません。ただし、軍隊のない国は世界中、どこを探してもありません。それに今では軍国主義など、とくに先進国ではそう唱えても通用しない。むしろ軍隊は国際貢献の一環として、紛争地などで、紛争解決のために派遣されるわけです。そういった点で、国際協調、さらには国際貢献のために軍隊を海外に積極的に出すことも必要です。私が残念に思うのは、日本は平和を強調する余り、安全保障面がなおざりにされていて各国との協調が出来ず、この面の認識が恐ろしく遅れていること。そのため、日本は大国でありながら、その大国から日本外しという目に遭っていることです。最近中国の軍事大国化が取り沙汰されているというのに、平和ということばに拘泥していて、日本はその対応の場からも外されてしまっている。これでは集まる情報も集まらない。第一、危機管理において、他国から協力を取り付けることさえ難しいことになります。少なくとも、安全保障問題では、他国と協調して、問題解決に当たることが必要で、そうした面で、他の国と同じ目線で、話題を提供するためにも、9条の改正は必要かと思います。  

14 山崎 拓→クライン孝子

2000年10月23日
全く賛成です。国連至上主義を採る以上、国連の平和維持活動にもっと積極的に参加できるようにすべきです。 ところでフランクフルトの書籍見本市はいかがでしたか?  

15 クライン孝子→山崎 拓
2000年10月24日
例年のごとくここドイツ・フランクフルトで世界一の規模といわれている国際書籍見本市が10月18日から23日まで6日間にわたって開催されましたが今年は107カ国、6887社が出展したとのことです。その出版社の主な仕事とは何といっても世界に出回る版権の売買であり取引です。日本も毎年出版社数社がこの見本市に出展し、内外の書籍紹介に努めています。そういう意味では日本出版界の世界出版界に果たしてきた役割には並々ならぬものがあり、その功績は大きいと思います。ドイツ・フランクフルトに住みはじめて31年になる私も、一時これら日本の出版社の版権売買に直接携わってお手伝いをした経験もあるので太鼓判を押してもいいくらいです。 でも今年の日本の出展出版社は、バブルのころから比較して、3分の1以下に減ってしまいました。日本の景気が少し持ち直したといっても、出版界では、今、インターネット活用による情報収集力に押されたり、若者の活字離れで本への関心が薄れたりで、不況脱出の出口が一向に見えないという事情もあります。しかしそれだけではありません。この原因には、出版業界が実に狭い日本という殻に閉じこもって、世界での動きというものに注意を払わなかった、そのつけがいよいよ回ってきたという風に見ていいのではないか。日本の政治と同じく、これまで出版界における構造改革について、何度も議題にされながら、そのつど先送りにされなおざりにされてきたからです。 そういう中で目を見張るのは、何よりも元気を失った日本に代わって中国を中心としたアジア諸国による進出です。その熱気たるや、圧倒されてしまいます。つい10年前とまったく、逆になってしまいました。日本よ、どうした!と一喝したいくらいです。 その反面、私など、これ、自業自得ではないかしらと思っています。なぜかと申しますと、この書籍見本市ですけれど、その目的は必ずしも出版社の版権売買のみではありません。各国の文化、とりわけ作家紹介の絶好の場として捕えられているからです。書籍見本市事務局側も、「毎年、書き手にもこの見本市に出席して貰おうと、会場に作家紹介の場を設け、作家自ら自作紹介を行うなどさまざまな行事を用意しているし、同時にこの機会を捕えて各国の作家による交流にも一役買う」ことにあると言っています。その事務局の話によりますと、「今年はすでに世界各国から1100人もの作家がこの見本市会場を訪れ、ロビー活動を行った」ということです。そうそう、今年はエリツィン大統領も、自著が出版されたので、わざわざこの見本市に訪れ、記者会見を開いていました。自分の本を売ると同時に、こうした見本市の場を通して、ロシア国宣伝に一役買うというわけです。では日本はどうかと言いますと、1990年書籍見本市が「日本年」だったことで、当時数人の作家がこの会場を訪れましたけれど、それっきりです。政治家がこうした文化事業にも目を向けるために、訪れるという話も「日本年」で政務次官クラスの方が来られたということですが、あとは十年一日のごとく日本の出版各社だけが何やら目の色を変えて版権売買に駈けずり回っているだけです。これでは「日本は書き手不在の書籍見本市」と陰口をたたかれてもしかたがないと思いましたし、それに「だから日本で世界的な作家が育たない」と指摘されても反論の余地がないのではないかと歯軋りをしてしまいました。 いずれにしろ、日本はこういった機会を捉えて日本文化を、政治と絡めながら、内外へ紹介することが下手ですね。日本の作家諸氏だって、国内の市場しか、目を向けていないし。日本の文化が衰退して当然と私は思ってしまいました。その日本の出版界ですけれど、週刊誌ひとつを取り上げても、世界情勢にはほとんど触れることなく、単に大衆がとびつきそうな政治家のくだらないガセネタともいうべきスキャンダルを流しては、大衆におもねている。そういうひまがあったら、少なくとも大出版社などは、もっとこうした機会を捕えて、積極的に外向きの作家活動にも力を入れるべきだと思うのですけれど。  

16 山崎 拓→クライン孝子

2000年10月25日
出版界にも国際化が必要、とのご意見、とても興味深く読みました。 戦後ドイツの国際貢献への取り組みについて、もう少し詳しく教えていただけますか?  

17 クライン孝子→山崎 拓

2000年10月26日
まずドイツのとくに戦後政治を見てみますと、保守(アデナウアー政権)、革新(ブラント+シュミット政権)、保守(コール政権)、革新(シュレーダー政権)と必ず、ある時期から政権交代が行われていることです。これは戦後の日本の政治が党の名前が変わっても、自民党一党による政治が続いた日本と違うところです。 ドイツはご承知のように東西に分断され、しかもそのドイツが冷戦の最前線に位置したこともあって、その政治のやり方もシビアでなくてはなりませんでした。そういう中で保守と革新が政権を交代することによって、東ドイツとの関係をうまく機能させようとしています。(例えば、アデナウアー政権は反ソ、反東独では強硬路線を取っていた。「ベルリンの壁」が1961年8月3日、構築され、東西ドイツの交流が完全に途絶したことで、その強硬路線は行き詰まり、社民党のブラント政権では、東独及び東欧諸国と接近し、これらの国との国交を回復しようと友好路線を貫こうとしています)そうすることで、ドイツの国益を活かして、実にうまく政権交代を行ってきました。 今回のシュレーダー政権でもそれは言えることです。今回のコールからシュレーダーへの政権交代ですが、例えば日本ですと、民主党が共産党と手を組んで連立政権を確立するほどの大胆な政権成立でした。何しろ脱NATO、脱軍備を主張してきた「緑の党」と連立政権を組んだわけですから。そのため一時はどうなることかと、その「緑の党」の動きを固唾を呑んで見守っていたものです。しかもちょうどシュレーダー連立政権樹立と同時に例のコソボ紛争が起っています。こうなりますと、「緑の党」はこれまでの主張とはまったく別の行動を迫られることになります。で、結果はどうなったか。「緑の党」は一転して、コソボ紛争では、むしろその先導的役割を任じて、ドイツ連邦軍のコソボ紛争への参入にゴーサインを出しています。つい最近ですけれど、例のコソボ紛争では、NATO本部で、その解決にもっとも貢献したドイツ連邦陸軍最高司令官クラウス・ナウマン元帥にお会いする機会があって、直接お伺いした話なのですが、「『緑の党』がもし、政権に加わっていなかったなら、必ずドイツは国内で『緑の党』の反戦運動が起って、ドイツはNATOとの足並みを揃えることができなかったと思う。こうなると、ミロセビッチの思うツボ。ミロセビッチの思惑というのは、NATOが一致しないという観点に立って、あのコソボ紛争を仕掛けて、大バクチを打ったわけですから。その点では『緑の党』があの時点で政権に就いたということはドイツにとって、よかった」と私にお話してくださいましたが、なるほどと思いました。 つまり、こういうことが山崎先生のおっしゃる「国益」なのかもしれません。保守と革新が政権を交代することになって、革新にも政権のチャンスを与える。そこで、世界の日本を見る目を変えさせて見せる。と同時に革新政党も、世界との対峙で、現実の政治を行うテクニックを吸収し、大人に成長する。ドイツはこうすることで、真の民主政治を戦後築き上げることに成功したと思います。 2つ目は、ドイツでは一度政権に就きますと、そのスパンが実に長い事です。コール政権は16年も続いてしまいました。シュレーダー首相は、じかにお話したとき、「どのくらい政権に就きたいか」、お聞きしましたところ、「2期、つまり8年は政権に就きたい」と語ってくださいました。一概に日本が悪くてドイツがいいということは言うつもりはありません。けれども世界のつわものどもと火花を散らして、政治に関わっていくには、日本の首相のあのめまぐるしい交代のしかたは、日本の政治にとってはマイナスというしかありません。何よりも、こう首相の首が据えかえられては、きちんとした政治はできかねます。日本の政治が刹那的だと海外で批判されるのも無理はありません。 3つ目は日本の政治家は、落選すると行き場がないことです。私の知人も日本で政治を改革したいと国政選挙に立候補しました。会社員でしたから、確か会社を退社して立候補したということです。基盤のない中で、立候補しましたから、落選しました。その後何年か、失業していたということです。結局いくら、理想に燃えて、政治に携わろうとしても、落選後は元の職場に戻る事が難しい。受け皿がない、だから政治にしがみついてしまうと聞きましたけれど、これ本当でしょうか。ドイツの場合は、落選してもそれなりに、また元の職場に戻ったり、結構いい再就職先が見つかったりするので、余り悲壮にならないでごく自然に政治に関わり、立候補としているようです。  

18 山崎 拓→クライン孝子

2000年10月27日
私が欧州を始めて訪れたのは1962年のことでしたが、 当時すでにEEC(欧州経済共同体)構想が動き出していました。それが今日EUに発展したのです。国家の理想や政治目標の重要さが良く分かります。新しい日本国憲法の中にも21世紀の日本のあるべき姿(新しい国家像)を明確に描きたいものです。このままでは、かつての欧州がそうなりかけたように、少子高齢化の進行と共に自然と活力を失い、国力は衰亡の一途をたどることになります。それだけは避けなければなりません。  

19 クライン孝子→山崎 拓
2000年10月28日
私など、ここヨーロッパにいて、国連の汚い面にも、目を向ける機会が多いせいもあるのでしょうが、日本はもっと、国連の実態を知る事で、余り国連至上主義に陥りすぎないようにしてほしいと思います。国連の拠出金では世界で2番目の日本ですけれど、その拠出金が一体どのように使われているか、決して、日本が期待するような「平和」という名目では使われていない。そういう中で、日本がお金を出すだけで、いいように使われていいものなのか、その行方追求のために、もっと日本人をこうした活動にも積極的に参加させるべきでないのか。また話が戻りますけれど、その点でも日本は世界的な活動のために人材不足が問われると思います。 21世紀の幕開けに当たって、日本はアジアにおけるリーダーとして、欧州が20世紀の後半、約半世紀という年月を掛けて築きあげた「欧州連合」をアジアでも「アジア連合」の形で築き上げていくべきでしょう。そのためには血の滲むような努力が必要だと思います。 そうそう、そのドイツの憲法改正といいますと、つい最近も第47回目の憲法改正が10月27日に行われました。2つの条項が改正されたのですが、ここで注目すべきなのは、第12a条項を付け加えまして、それまでは女子が軍務に就いても武器をとることは禁止されていたのに、今回の改正で、女子兵士も軍務に就く場合、武器の携帯が認められることになりました。これはあるドイツの女性兵士が、男子にだけ武器使用を認めて、女子には使用を禁止するとは、男女平等の原則に反すると抵抗し、食い下がり結局欧州裁判所まで持ち込まれたものです。その結果欧州裁判所は、この女性兵士の言い分を認めたのです。こうなるとドイツもその決定に従わなければならない。ということで、従来の憲法では通用しなくなり改正せざるを得なくなったという背景があります。話は前後しますが、つい最近のこのニュースも付け加えておこうと思います。
 
20 山崎 拓→クライン孝子

2000年10月29日
最新情報をありがとうございました。私は徴兵制には反対の立場をとっており、このような議論は日本では考えられないことなのです。改正内容にも驚きましたがそれはさておき、「改正」というと日本ではこれだけの時間と手続きが必要なのに比べて、ほんとうにドイツでの変化は速いですね。先日の憲法調査会では参考人として曽野綾子さんが出席されましたが、21世紀クラブの「理想の政治家像は?」との質問に答え、「明確な哲学を持って、譲れないことについては危険をかえりみず主張する勇気をもっている人」と答えられました。心に留め置く言葉だと思いました。クラインさんの理想の政治家像はどのようなものですか?
 
21 クライン孝子→山崎 拓

2000年10月30日
世界戦略という視点で、モノを見て、政治に携わることのできる政治家です。その世界戦略という概念の中には、しなやかなしたたかさ、そしてやさしさ、相手に対する思いやりといったものが含まれますし、世界戦略視点でモノを見るようになれば、自然とこうしたしたたかさ、優しさ、思いやりといったものは滲み出てくるとおもいます。  

22 山崎 拓→クライン孝子

2000年10月31日
貴重なご示唆有り難うございます。国益と国際益の調和に心がける国際的視野を持つ、善良な国家主義者であるよう心がけます。