20世紀最後の総選挙は、都市部での自民党の敗退をもたらし、抜本的な党改革の必要性をいまさらながらに証明する結果となった。そんな苛烈な闘いのなかでも、山崎拓は新しい民主主義へのチャレンジを忘れてはいない。選挙前、市民団体が主宰した立候補者揃い踏みの演説会が企画されたが、真っ先に参加を表明した山崎拓によって、福岡2区は全国初の公開討論会を成立させた。総選挙後の9/22(金)には、政治への関心を草の根から呼び醒まそうと、インターネットで参加者を公募し「居酒屋トーク」が開催された。若い世代と膝を突き合わせての歯に衣着せぬ辛辣な意見交換の記録を誌上に再現した。
※関連情報は山崎拓ホームページ http://www.taku.net

九月二十二日 東京にて(抜粋)

司会 こんばんは。ようこそお集まりをいただきました。年代も性別もお仕事もマチマチで、どういう関係かさっぱりわからない集まり方ですが、電子掲示板への書き込みを拝見していますと、皆さん大変政治に強い関心をお持ちの方々でございます。ぜひ率直なご意見を承って、山崎拓さんの肉声をみんなで聞きたいと思いますので、よろしくお願いします。最初に山崎さんから一言ご挨拶と乾杯の音頭を。

山崎 きょうはご参加いただきましてありがとうございます。あらかじめメールや掲示板で皆さんのご意見を伺ったわけですが、鋭い批評ばかりでとても勉強になります。きょうは覚悟して来ましたので遠慮なくどんどん辛口の意見をぶつけてください。日本と皆さん、皆さんの家族の将来のために乾杯! 一同 乾杯!

 第一に今政治の中枢におられる方が、実際の有権者というか現場に立つ当事者の立場とかけ離れちゃっているんじゃないかという気がするんですよ。この前の教育改革国民会議中間報告の内容も、新聞の記事とかを読む限りでは、実際に子どもを育てている僕らの感覚とか周りの意見を聞いても、なんかずれていると。要は識者と呼ばれている人たちというのは、たいていの場合はもう子育てが終わっている世代であることが多いわけで、そういう人たちと僕らだとギャップがあると思うんですね。大人と子どもの間に断絶があると言われますが、大人の中でも団塊の世代とその上の世代、下の世代、我々の世代とか、みんなギャップがあると。政治家の方々というのは、いろんな世代の話を聞くべきだと思うんですけれども、それができてないような気がするんですよね。そうするとどうしても与党というのが批判される立場になるのが今回の都市部での負けというか、退潮なんじゃないかなと思うんですけど。

山崎 国民の声をまず聞いてそれを反映させる努力というのは、日常活動として皆さんやっているけれども、十分でないと思います。選挙でも毎日のように駅頭に立って演説をし、あるいは手を振って歩いたとしても、一方通行です。実際に現場の声を聞く努力が足らなかったということで、現実に今こうやって始めているわけなんですけれども。

 厚生白書の平成一〇年版が子どもの少子化に焦点を当てていて、要は今までどんな時代のどんな国でも、子どもを親だけで育てた時はなかったんだと。それが今の現代日本では、ほとんど母親一人に負担がかかってしまっている現実がある。それで母親はもうプレッシャーがかかりすぎちゃって、いろんな問題が起きている部分もあると思うんですよね。会社の先輩でインドネシアにずっといて帰ってきた人が言っていたんですけど、インドネシアでは日本人の子どもだろうと、自分たちの次の世代だということで大切に公共施設で扱ってかわいがってくれると。でも日本に帰ってきたら、特に東京では子どもなんて邪魔だという目をすごく感じる。結局日本という国に対してみんなが共同体意識とか誇りというのがないんじゃないかと。子どもはどんな子だってみんな自分たちの次の世代なわけですよ。そういう認識がなくなっちゃっているんじゃないか。そういったときに、教育の問題が重要になるわけですけど、その大きな方向づけをするのは僕はやっぱり政治だと思うんですよ。官僚というのは政治が決めたことを実行する部隊でしかないんです。そのときに政治が正面から議論することを避けているような印象です。

 
 
山崎 教育の問題とは、今日の教育改革会議の報告にもありますように、実に多岐にわたっています。独創的な能力を開発すること、科学技術創造立国として理数系の才能を大きく伸ばすことを最優先とする議論、または受験地獄というのをなくして、みんな平等に扱おうと、これは悪平等になる可能性もありますが、そういう議論。それから教育現場の不登校やいじめ、そういうものをなくすことに重点を置く議論。少年犯罪多発の折でもあり、道徳教育に重点を置く議論。さまざまな議論を百花斉放にどんどんやることがまず大事だと思うんです。これから教育改革が政治のメインテーマになるのは確実です。財政再建も確実に重要なテーマでこの二つが先行馬。同時に憲法改正が進行すると思います。

 うちの親が小学校の教師をやっているんで話を聞いていると、個人の個性を尊重すると言っていても、四〇人学級では難しいんじゃないかという気がします。公共事業に使うお金を先生を増やすことにまわして、少人数学級にできないかなと思うんですけど。

山崎 先生を増やすというのはないと思う。なぜかというと児童数が減っていますから。少子化で、特に都市部は合同・合併する方向です。

 「数」ではなく教師の「質」の話が重要。子どもに対して、今受験戦争のシステムに乗っかっていると損だよっていうことを大人もわかっていて子どもも見透かしているのに、「いや待て、勉強しろ」みたいな。損得という話をしっかり誰も言わないですよね。

 小学校の低学年までは先生は神様なんですよ。たぶん親よりも。親がこう言っても、先生はこう言っている。そこは損得と関係ない世代なんです。だからこそ教える側の質を上げることが重要なんです。

 「ゆとり教育」をやっていこうとしていますけれども、僕は何を意図しているか全くわからないです。教育というのは遠い昔為政者からの圧迫や隷属から抜け出そうとして、自分たちが賢くなろうしたところから出発したんですよ。そういう観点が全く抜けていると思う。資源も何もないこの狭い日本がどうやってサバイバルできるかというと、教育しかないんですよ。戦中の焼け野原からこうやって立ち直ってきたのも教育の水準の高さがあったと思います。ですからやっぱり教育、これは第一においてもらいたいと思いますね。

 私はともかく文部大臣になったらやりたいなと思うのは、英語教育ですね。さんざん言われてますけど、中学校、高校、大学、一〇年以上勉強していてしゃべれない。受験英語の弊害で、訳わかんない文法とか英作文とかしかできない。それよりもっとコミュニケーションとるための、聞いて話す力をつけるように変えたい。たとえば大学入試で英語のヒアリングを試験に占める割合の八〇%、九〇%にする。それだけでかなり違うと思うんです。それだけで日本の高校生、みんな英語聞くようになりますよ。訳もわからず覚えた英単語とか英作文というのは普通は忘れちゃうんですけど、耳で覚えたものっていうのは覚えているんですね。英語教育を変えるには入試を変えるのが一番かなと。

山崎 全く同感です。僕は単語は比較的知ってるんですよ。加藤紘一という人は英語ベラベラなんですがその加藤さんに「よく単語知ってるな」と言われる。ところが大学受験したとき、英語のヒアリングが何一つわからない。ペーパーテストはわかるんですけれども、ヒアリングが完全に〇点だったんです。日本の英語教育がいかに間違っているかということは身にしみてわかっています。

 私は中学まで日本語はしゃべれなかったんです。ずっと外国で育ったんですけれども、ひとつ日本に帰ってきて日本の学校に入って思ったのは、勉強ができるできないというより、「人としてどうあるべきか」を説いてくれる先生があんまりいなかった。英語がしゃべれればそれにこしたことはないんですが、それ以前に社会の中における責任とかそういうことを小さい頃から叩き込んだほうがいいんじゃないかな。そういうことが希薄だから、殺してみたいから殺しちゃった、なんていうとんでもない子供が育ってしまう。取り返しがつかないことが世の中にはあるんだと、そういうことも考えられるような教育であるべきだと思います。

I 提案なんですけど、学校の先生って専門職じゃないですか、子どもを教えるという。もっと一般の人が学校の場で教えることができないのかなと。

 それは少し変わってきている。土曜日に普通の親が行ってお話をするような試みも始まっています。

 小学校に上がる前、小さいときに多く接しているのは親なわけですよ。私もそうだし、周りの茶パツのネエチャンとか見るとそう思うんですけど、親に子どもを育てるノウハウというのが、どう育てたらいいかなんていうのが全然伝わってないんですよね。つまり昔は近所のおじさん、おばさんというのが何かと怒ってくれたし、おじいちゃんやおばあちゃんが近くに住んでいて、親にこうしろ、ああしろというのを言って、親がそれを子どもに対してやるということがあったわけですけど、結局今の親たちは子供をどう育てたらいいかというのが何もない。義務教育とまでは言いませんけど、子どもをはじめて持った親には、しつけ教育というのを義務化したほうがいいんじゃないですかね。そこまでやらなきゃだめなんじゃないかなと。要は電車に乗っていて、しつけがなってねえなというのを見ると、親がもっとなってないんですよ。

 日本やばいな、それは。
 
 

K 我々が子どもの頃は、小学校に入るまでの基本的なしつけは親がするものだと、私の親の世代にはそういう風潮がありましたよね。それがいつの間にか学校が子どものしつけまでするもんだという風潮になってきているんですね。まず、一人一人の大人がしっかり何をすべきかということを、親だから親じゃないからではなくて、自分たち大人がしっかりと次の世代を育てなければいけないんだという意味で、子どもにじっと見つめられて、目をそらさないでいられる行動ができるかどうかですね。自分一人一人の行動が、もしかしたら次世代、二十一世紀を担う人材の育成の一翼を担っているんだという意識で大人がやっぱり生活態度等を改めなければいけないなと。大人が皆さん社会の一員として、子供を育てていくんだという心構えを持たないとだめだと思います。親の立場でいうと、ものすごいプレッシャーなんですけど。

 電車でうるさいなと思ったり、ウォークマンをガーガー鳴らしている子に、あなたたち注意しますか。

 そこなんですよ。それが今注意できなくなっちゃっているから。 司会 注意した途端に殺されちゃうケースがあったわけですよね。先ほどお配りした教育改革会議中間報告の最初に、実は親の責任が書いてあるんです。親がしつけなさいと書いてある。で、地域でみんなでしつけましょうとも書いてあります。学校でまず教えるのは善悪であると書いてあります。どうも毎回教育改革というとこういうメニューしか出てこないんですが、山崎さんがこれはやってみたいという教育改革のテーマは。


山崎
 そういう道徳教育的なことを学校で教えるのはなかなか難しいけれど、やる価値はあると思う。ただ、道徳を導きだすものは国のあるべき姿。国の目標として見せるべき姿というものをまず決めないと道徳教育できないと思うんですよね。それがもう戦後半世紀、今までは廃墟の中から立ち上がって、導入された人権意識を前提として教育をやってきたんですが、半世紀たった今、国の理想はなんだったのかと改めて問い直し、みんなで議論する必要がある。それが「憲法改正」です。教育基本法を改正すると森総理が言われたが、実は教育基本法というのはたった一〇条の短いやつで、憲法と一緒にできてるんですね。憲法の理念を踏まえてこの教育基本法を作ったということが書いてあるんです。ですから、今憲法を変えないで教育基本法だけを変えるの無理じゃないか、まず憲法論議で根本のところの、われわれ日本人が拠って立つ理念・哲学を見直すのが先じゃないかというふうに私は思います。 (中略)

 アメリカで大統領選が始まって、ゴア副大統領がポイント差で逆転した決め手となったと言われる演説で彼がこう言ったんですね。「We do my best for working family」「働いている人たちのために全力を尽くす」。非常にシンプルなんですけど、これってなかなか日本の政治家の方々の言葉とは違うなと、温かみがあるというか、自分の気持ちにすごく届くというか、結局その言葉が最後で、そのあと奥さんを抱きしめてキスをして、それがよかったという話。(笑)ただ本当に、しゃべっている言葉が心の中から出ていると思わせるところがあって、どうして日本の政治家の方の話というのは自分のハートに届いてこないんだろうというふうにすごく感じます。たとえば国債がこれだけ膨らんで、GDPの一三〇%ぐらい残高があって、格下げになって、日本の格下げというのはたいしたことないと言われる方もいらっしゃいますけれど、外から見た日本というのは、イタリアと同じぐらいのイメージしかないような状況になってきていますね。だから、「これだけ国が借金しているんだけど大丈夫だよ」とか、もしくは「本当にシビアな状況なんです。だからみんなで耐えていこうじゃないですか」とか、だから「公共事業も厳しいけれども、もうちょっとみんなで我慢しましょう」「しばらく我慢して次の代につなげましょう」という言葉が欲しいんですね。ただ大丈夫、大丈夫だ、たとえば真水で三兆八千とか三兆九千とかいう数字が先行しちゃうんですけど、本当にそれで大丈夫なのっていうのを心の中では思っているんで、本当のところを伝えてほしいという気持ちが強いんですけど。

I 私たちが今政治家に対して求めていることは昔と違うと思うんですよ。一つはJさんと同意見で政治家がビジョンを示すこと。もう一つはアカウンタビリティ、要はちゃんと国民に対して説明するというのを、たとえば一〇年前、二〇年前、高度成長期時代に比べてすごく要求していると思うんですよ。今の時代ってみんな不安で、そんな正解が出るとも思えなくて不安なので、誰かに「こっちの方向だ」ってはっきり言ってほしい、それに対して判断したいんですね。たとえば東京都知事選で石原さんが勝った原因の一つは、彼が正しい、正しくないということじゃなくて、彼ははっきりと自分の路線を打ち出して説明したわけですよね。そういうものを私たちも求めているんじゃないかなと。しかるに、従来の日本の政治家というのは、わりと調整型の方が上にいらっしゃって、ご自分の声では話さなくて、周りの意見を調整してそれを代表して話すので、それこそ紙を読んでいるとか肉声じゃないというふうに私どもが感じてしまうんだと思うんです。

 山崎さんがご本にも書かれたように、それぞれの議員の方がそれぞれの志をもって立候補されているわけですよね。だからそれぞれの議員には、それぞれビジョンというのがきちんとあるはず、にもかかわらず、なんで自民党という党にまとまってしまうと何も見えてこないんですか。結局そういう方々が数多く集まって自民党を結成されているのであれば、もっと党として確固たるもの、「国をこう導くんだ」というものがバンと国民に対してアピールされてもいいのに、なぜか自民党という枠の中に入ってしまうと何をやっているのかわからない、なんかタヌキとキツネの化かし合いみたいなイメージしかなくなってしまう。一人一人の議員の話をまじめに聞けば、なんだそこまですごいビジョンを持ってらして、それだけのことを考えてくれているのであれば、なぜ実行してくれないの、と私なんか単純だからすぐそういうふうに思ってしまうんですけど。もっとマスコミに対しても言っていいんじゃないですか。「我々はこういうことを言いたいわけじゃないから、国民に対してねじ曲げて伝えるな」ということを強く言ってもいいと思うんですね。

 今私たちが政治家に求めているものは、やっぱりアカウンタビリティ、説明する能力、ビジョンを示すことだと思います。政治家の方に一刻も早く気づいてほしいと思います。IT革命ってすごく恐ろしい、悪い面でいうと恐ろしいことが起こる可能性もあると思うんですね。本当に失業者が大量にあふれて日本経済は大変なことになるかもしれない。今抜本的な改革をしないとだめだと思います。国民はそれほどばかじゃなくて、抜本的に真の改革をしていけば、痛みを感じても、「一〇年後にはこう変わるんです」というビジョンを示せば賛成すると思うんですよ。

 我々勝手なことを言って申し訳なかったんですが、やっぱり政治家というのは一番変える力を持っていると思うんですよ。その人たちにがんばってもらえれば我々も一生懸命応援します。ぜひもっともっと山崎さんだけじゃなくて同志の方々も一緒に変革していっていただきたいと思います。

山崎 皆さんには、週末の夜に大きな犠牲を払って出席していただいたと思います。貴重な意見を直接聞かせていただいて、これを無駄にすることは許されないですから政策と政治行動に必ず活かすことをお約束します。とくに教育問題ですけれども、基本的に日本は資源がなく人的資源だけで経済が発展した国ですから、ゆとり教育よりも能力を引き出すことが一番肝心だと。日本はやっぱり科学技術創造立国で行くしかない。 技術によって生み出された経済力で国際貢献をしたい。国内社会では、「自立と共生」という言葉を使っているんですけれども、自分自身で生きていける能力をちゃんと与える。その上で、社会に守られている、お互いに守りあう環境を築く、そういう社会にすることが政治の使命だと考えています。みんながお互いに尊重し奉仕し合う気持ちで生きている世の中にしなければならない。政治家はその最大の奉仕者であるべきじゃないかと思いますので、残された政治生活、奉仕の精神を持ち続け、邁進していきます。これをご縁に、どうぞよろしくお願いいたします。