若い世代の政治離れが取り沙汰されるなか、山崎拓は強い危機感を抱いて若いうねりに飛び込み、積極的に議論しようとしている。卓越した歴史観、世界観、明確な政治理念を背景に、近未来の国家像を深い政治的洞察をまじえて熱っぽく語る山崎拓の肉声は、学生たちの魂を捉えて放さない。

二〇世紀は日本にとって輝かしい世紀であった  
明治三三年に始まった二〇世紀は、明治、大正、昭和二〇年に太平洋戦争が終わる一九四五年までが前半で、日清・日露・太平洋戦争とまさに戦争史です。明治維新以降、二〇世紀前半の日本には、国家の目標が明確にありました。それは司馬遼太郎さんが書いた小説にも出てくる国家目標ですが、富国強兵、国を富まし、兵を強くするということです。経済発展を心がけながら、軍事力を強化するという路線で日清、日露、太平洋の三戦争が戦われました。一転して二〇世紀の後半は、専ら経済発展の時代、経済の時代でした。戦後|私は小学校三年のとき終戦を迎えたのですが、戦後になると、富国強兵の中の強兵という部分を完全に消しました。それは日本国憲法に明確に出ています。第九条で、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない、交戦権を保有しないと書いてあるが、戦後日本は、まさに軍事力を完全に否定した憲法のもとで専ら経済に特化した半世紀を送ってきたわけです。 二〇世紀の前半、後半を通じて明確に言えることは、国家意識を持っていたということです。日本の国をどうするのかという明確な国家意識を持ち、国民が一丸となって励んできたことが二〇世紀の特徴です。前半は富国強兵ということを目標にして、国民が天皇制のもとで結束してきた。戦後、天皇のあり方は天皇主権の時代から象徴天皇という形になり、国民主権に変わりました。けれども、やっぱり国民統合の象徴という表現が憲法にあるように、天皇制を中心にして、経済大国を目指すという目標をもって、今日までの歩みを続けてきたわけです。いずれにしても、二〇世紀は日本にとって、良きにつけ悪しきにつけいろんな意味で輝かしい世紀であったと思います。

日本の国が引き続き発展するように、責任を持って政治を担当していきたい

しかし、間もなく始まる二十一世紀の日本は発展するのか、衰亡するのかを考えた場合、どうも衰亡の一途をたどるんじゃないかという見方をする人が多いわけです。これは国の内外を問わず、そういう見方が極論すれば一般的になりつつあると思います。私は政治家の一人として非常に責任を感じています。日本の国が滅びないで、引き続き発展するように、責任を持って政治を担当していきたい、そのことをまず申し上げておきたいと思います。衰亡の徴候があるのです。国が衰亡していく徴候は五つほど挙げることができると思いますが、一つは少子高齢化、二つ目は経済成長の鈍化、三つ目は財政の破綻、四つ目は社会規範の乱れ、五つ目はアイデンティティの崩壊です。 まず、少子高齢化です。少子高齢化は国民全体の活力の低下につながります。高齢化がどんどん進みますと、年金をもらう人が増え社会保障費が増大する反面、働いて負担する世代が減少し、一人あたりの負担が大きくなるという悪循環を引き起こします。政治の力で少子高齢化を防ぐことは、環境整備はできますけれども、実際にはなかなか手がないというふうに感じます。これを何とかしなきゃならないわけで、例えば少子化対策として保育事業の充実、保育所の整備、また、児童手当の充実といったようなことも提案されていますが、政治の力で少子化を防いでいくということは、どうも自然の流れに棹差すようなところがあって、非常に難しい。しかし、国民が安心して子供を産み育てる、そういう環境づくりは政府の責任です。

 
 
今は一番悪いと言われたイタリアをついに追い抜いて
次に、財政の破綻ですが、これが当面最大の問題でして、経済成長の鈍化と財政の破綻とは非常に密接な関係にある。 今は、経済が成長しない、発展しない。いわば不景気ですね。不景気を直すために、景気回復のために、どんどん財政を支出して、例えば公共事業をやったり、いろいろなことをやっていくという、私は逆療法と言っているんですが、そういうやり方をやっています。それは何だか良いように、正しいように皆さん考えているけれども、実際は財政状況が悪くなることが経済成長の阻害要因になるということですね。今、そういう主張は認められていないが、今度、政権が変わるとすれば、我々はその主張を持っているので、財政再建に乗り出すということになります。財政に頼って公共事業をどんどんやっていけば、一時的には景気は良くなるようですが、将来には大きなツケを抱えて、景気はかえって悪くなるということを申し上げておきたいと思います。  現在既に財政の赤字はGDPの七%に達し、また、国債発行残高は三六四兆円、補正予算で二兆円積みましたので三六六兆円、それは五〇〇兆のGDPから言うと七割を超すという金額になっています。地方も地方債を出しますし、あるいはまた、そのほか特殊法人の債券も出す。そういったものを入れますと、六四五兆円という膨大な国全体の借金がある。六四五兆円は、五〇〇兆のGDPからすると三割増しです。さらに、国全体の貸借、国が持っている財産と借金ですね。負債との関係から言うと、債務超過、債務のほうが七七八兆円も多いという数字が、このほど、大蔵省から発表されました。膨大な国の債務超過がある。国の財産を全部売っても、なお借金が七七八兆円も残るのが今の現状です。これは世界の中で、少なくとも先進国の中では一番悪い財政状態です。かつては日本の財政は非常にいいと言われましたが、今は一番悪いと言われたイタリアをついに追い抜いてしまって、世界で一番の財政のポジションが悪い国になりつつあるわけです。したがって、日本は、国際国家日本と言われるように、国際社会で非常に重要な位置を占めているわけで、日本に対する国際的な要請は日本の景気をよくしてくれという強いものです。バブル経済が弾けてから、一九九〇年代の一〇年間、日本経済はずっと落ち込んでいて、何とか早く立て直せという話がずっとあった。そういう国際的な注文が日本に来るわけですが、二十一世紀に入ると、おそらく日本に対する国際的な注文は、財政を立て直してくれ、日本の財政が悪いと国際社会が迷惑するということが言われるようになると思います。

日本は世界の国々から尊敬を集めるような風格ある国家ではなくなってしまう

それから、社会規範の乱れ、これは、教育現場の崩壊とか少年犯罪の多発、それから公衆道徳の乱れとか、社会全体が個人主義の弊害が非常に強くなってきて、社会全体のことを考える傾向が非常に薄くなってきているということが明確に言えると思います。そこをどうするかが問題です。このまま行きますと、日本は世界の国々から尊敬を集めるような風格ある国家ではなくなってしまう。そういった点が我が国の衰亡の徴候です。  かつて一九八五年ごろ、私が訪米したときに、そのころは日本の国が一番経済的に繁栄した時代なんですが、ワシントンでアメリカの政治や行政にかかわっている若い人や、日本からの留学生が集まったところで、なぜ日本がこんなに繁栄するのかが話題になったことがあります。そのときに、日本という国はアイデンティティのある国だと言われました。アイデンティティは難しい英語なので、正確な訳語はないけれども、帰属性という訳し方がある。あるいは同一性という訳し方もあるが、要するに国民がまとまる力ですね。求心力と言ってもいいが、そういうものがアイデンティティだと思います。日本の国には天皇制があるし、象徴天皇のもとで一億一言語・一民族・一国家ということで、非常にまとまりのいい国である。国家が国民の家族意識、同一性意識によって、まとまって国の発展を図っている。そのことが成果を上げているとよく言われました。

日本の国民こそ、技術革新の魂を持っている  
私はそのとき、中曾根内閣の官房副長官の仕事をしておって、当時の中曾根総理に随行して行ったわけです。そのときに、キャピトリーヒューマンといって、アメリカの議会に行って、上院議会が集まった中で当時の中曾根総理が演説したわけです。その演説で中曾根総理がどう言ったかというと、当時はアメリカは最低の時期でした。政治経済の状態が非常に悪い時期だったが、一体アメリカの国民はどうなったんだということを、今の日本では到底言えないようなことを言った。自分は学生時代にアメリカの偉大さを自分の先生から教わったんだけど、その先生がおっしゃったのは、アメリカには三つのスピリットがあると。それは何かというと、一つはフロンティア・スピリット、開拓者精神ですね。それからピューリタニズム、清教徒主義、それからもう一つはイノベーション・スピリット、技術革新のスピリットですね。この三つの非常にすぐれた精神がアメリカの国民精神としてあるので、必ずアメリカは世界の大国になるだろうということを東大の学生時代にゼミの教授から教わったと、中曾根当時の総理はアメリカの上院議員に向かって話して、現下のアメリカを見るに、その三つの精神は一体どこに行ったんだということを言いました。今から考えますと、中曾根さん自身も当時だから言えたなと、今ならとっても言えないなという感慨を抱いておられると思いますが、日本はものすごく好調な時代でして、アメリカは非常に低迷した時期だったので、そういうことを言えたわけですが、アメリカにフロンティア・スピリットはあるのか、一体どこにどう出ていこうとしているのかということを言われました。それから、アメリカの社会が犯罪のちまたになってしまっているが、一体ピューリタニズムはどこに行ったのか、とも言われましたし、日本の技術は年々歳々発展して、日本の経済力はアメリカの経済力を圧倒するようになってきたが、それはアメリカのイノベーション・スピリットがなくなったからだ、日本の国民こそ、技術革新の魂を持っているということを言われたわけです。
 
 

科学技術の分野で日本が世界をリードしているとは到底言えない  
私はそれを聞いて、そばに座っておりましたが、非常に心配しました。アメリカの国民を代表するアメリカの国会議員は必ず反発するだろう、自分の国のことを悪く言われたわけですから強く反発するだろうと思ったが、意外や意外、万雷の拍手でして、拍手が鳴りやまなかったわけです。私はアメリカの偉大さをそこで感じました。やはり率直さを好む国だなと。本当のことを言ってズバリと急所を突くと、日本の国は必ず怒るけれども、自分の欠点を言われると必ず反発しますが、そうではなくて、ほめられたとき以上に、万雷の拍手をもって日本のリーダーの言葉に対して感謝の意を表したわけです。それからたった十五年、攻守全くところを異にして、今、アメリカの大統領が日本に来て同じことを言われたら、返す言葉がないと思います。例えば最近、ノーベル賞を久しぶりに─このノーベル賞は自然科学分野で言うと、一〇〇年の間にたったの六人目です。イノベーション・スピリットに欠けていると中曾根総理が指摘したアメリカは、多民族国家ですから、その中にはユダヤ人もいるし、ゲルマンもラテンももちろんいるわけで、いろいろな人種がいます。ただ国籍として同一性のある国民ですけれども、そのアメリカの国民が自然科学の分野で何人ノーベル賞をとったかという統計を見ましたら、一九六人とっています。日本はたったの六人です。まあ、ノーベル賞のとり方にもあるいはテクニックがあるのかもしれませんが、いずれにしても、彼我の差は歴然としているわけです。その次に来るのは確かイギリスだと思いますが、英国が六六名で、ドイツが六二名という数字になっているわけです。どうも、技術革新マインド、科学技術の分野で日本が世界をリードしているとは到底言えない状況になっているわけで、それを先方から言われると返す言葉がないのが日本の現状ではないかと思っています。経済の発展は三要素あって、労働と資本と技術生産性というものですが、その関係から言うと、日本は経済の発展に寄与する技術生産がほかの国に比べると非常に劣っているという感があります。

バブル経済の崩壊とまさに機を同じくして、政府の力も衰えてきて
 
そこで、当時は、アメリカの国が多民族国家であって、アイデンティティに欠けるから、そういう国力の衰亡が見られるんだというふうな言い方をしたわけです。日本は国としてまとまりがいいので、これだけ発展─一九八五年当時、バブル経済崩壊の五年前のことでしたので、非常に発展したんだと。アメリカの国は五〇以上の人種によって構成される多民族国家ですので、なかなかまとまりがない。宗教も、もちろんキリスト教が主だけれども、他にもたくさんの宗教があって、なかなかまとまらないので、多分、そういう弊害が、悪い結果が出てきたんだろうと、そのように言われたわけですが、たった十五年で変わりました。このところはアイデンティティの問題はもう一度再考する必要があると思います。日本経済の台頭に対して、米国では逆に強い結束を持って対応してきた。アメリカの民主主義、あるいは人権主義、平和主義といったアメリカニズムですね。非常に強大な軍事大国ですので、平和主義という言葉を使うと、ちょっとイメージに合わないかもしれませんが、アメリカはアメリカなりの平和主義があって、そういうものを世界に向けて輸出するような国情がある。肝心なのはこれからの日本の政治のあり方です。どうやって立て直すかについて、我々は政治の責任が非常に重いと考えています。一九九〇年以降、バブル経済の崩壊とまさに機を同じくして、政府の力も衰えてきて、政治家の一人でありながら、しかも私は国会議員になって二八年もたつ人間で、いわばベテランの政治家になるわけですが、その政治家があえて認めなければならない政治力の低下は、実は国際社会からも指摘されています。日本の政治家はどうなったんだということを言われます。率直に、政治の地位の低下は非常に深刻であると自覚をしています。

実に四〇年間にわたって続いた自社対立を乗り越えて、一つの政権を  
一つは、政治に緊張感がなくなってきていると言えると思います。イデオロギー対立の時代が終わりました。ベルリンの壁の崩壊とともに、日本の政治はこれまで五五年体制、昭和三〇年にできた自由党と民主党の一本化、それから右派左派の一本化した社会党、この自民党と社会党の対立時代に入って、平成五年まで続きました。それを五五年体制と言いますが、自由民主主義と社会主義のイデオロギーの対立、世界的な冷戦構造の中で、アメリカの自由民主主義と、旧ソ連を中心とした共産主義、社会主義の体制とのイデオロギーの対立が世界を半世紀にわたって支配してきた。そのイデオロギーの対立の時代が終わりました。日本でも、世界に五年ほど遅れたけれども終わったわけですが、そのころから政治に対する緊張感が薄れて、多党時代、連立時代に入ってしまったのです。最初は細川政権ができて、これは八つの政党、やまたのオロチとも言いましたが、八つの政党が一つの政権をつくった。細川政権は一年足らずで終わりました。その後、羽田政権を経て、村山政権という自社さ政権が、昭和三〇年から平成五年まで実に四〇年間にわたって続いた自社対立を乗り越えて、一つの政権をつくるまでになった。これはまことにコペルニクス的転回でした。そのころから、イデオロギーの対立は解消して、いわば対立軸がない、政治思想の面で競争関係のない政治の時代に入ってしまったわけです。今日でもその状況は続いています。自民党と民主党の意見の相違を見出すのは非常に困難です。与党第一党の自民党と野党第一党の民主党の間で、どこがどう違うんだと政策面で問いましたときに、ちょっと抽象的、感覚的な言い方ですけれども、双方に実は右と左が入れかわったほうがいいんじゃないかというようなことも出てきて、政策上の見分けがほとんどつかない。おそらく、憲法の改正を実現する段階になったときに政界再編が自動的に行われ、今の自民党も解体するし、民主党も解体して、新しい枠組みができてくる、と私は観測しているわけです。私はもちろん改憲派です。

国民の多様なニーズ、あるいは多様な意見を反映する政治  
政治の地位が低下した理由のひとつに政界の人材難があります。若い方の政治指向が非常に薄れ、今、人材は主として政治家の二世が中心になってしまった。新しい豊富な多面的な人材が政治の世界に取り入れられないという弊害が出てきて、それが民心、人心から政治が遊離する原因になっていると言えると思います。私は二世でないので、言うのをはばかるところがあるが、あえて率直に申し上げたいと思います。もっと国民のあらゆる分野から政治の世界に参入してもらわないと、国民の多様なニーズ、あるいは多様な意見を反映する政治にならない。それが政治の地位の低下のもう一つの原因ではないかと思っています。それから、今まで経済至上主義が一つの国家の目標だったわけです。しかし、経済大国の地位に上りつめて、バブル経済崩壊後、日本経済の低迷が世界経済の発展の足を引っ張るという状態になった。いわば政治が目標を失ったと言えるんじゃないかと思います。新しい国家目標を設定して、国民がその国家目標に向かってまとまっていく体制をつくらなければ、政治の地位の低下を防げないと思いますので、これからの政治の課題として一番肝心なのは新しい国家目標の設定だと、このように思います。新しい国家目標を私は、自民党の総裁選挙に出たときに、三つ考えたわけです。一つは品格ある国家、二つは活力ある経済、三つは安心できる社会と、この三つの国家目標を掲げて二十一世紀の政治は行われるべきだと主張したのです。その中でもとりわけ品格ある国家に重きを置いて考えています。今の憲法には、「国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」と前文に書いてあるけれども、新しい憲法では、どういう面で尊敬を受けるかを明確にしていかなければならないと、考えています。

権利と義務のバランスをどうやってとるかが、憲法改正の一つの眼目  

憲法には国民の権利と義務が書いてあります。この国民の権利は、数えてみますと、十八あり、義務は三つ書いてある。十八対三の関係になっているわけです。権利のほうを紹介すると、生命・自由・幸福追求の権利、生存権、教育を受ける権利、労働の権利、労働の団結権、団体交渉その他団体行動権、裁判を受ける権利、公務員の選定・罷免権、参政権ですが、それから請願権、奴隷的拘束及び苦役からの自由、思想及び良心の自由、信教の自由、集会・結社・表現の自由、居住・移転・職業選択の自由、外国移住・国籍離脱の自由、それから学問の自由と十八の条文がある。それに対して国民の義務が三つ、教育の義務、勤労の義務、納税の義務、この三つしか憲法には書いてないわけです。権利と義務の関係が非常にアンバランスになっているのが現行憲法の特徴であって、別称、権利憲法と呼ぶ人もいるぐらいです。国民が権利ばかり主張することになれば、どうしても社会の規範が乱れやすいという関係があると思います。権利と義務のバランスをどうやってとるかが、憲法改正の一つの眼目です。その点をこれから憲法改正作業の中で充分、国民の議論を踏まえて見直していきたいと思います。

その日に第四七回目の憲法改正が行われましたと  
その中でよく議論になることが二つあります。一つは国を守る義務。世界中に一七七の憲法があるけれども、国を守る義務が明記されていない憲法は、多分、日本のものだけだと思います。最近、インターネットでドイツからクライン孝子さんという方のおもしろいメールをいただきました。日本は昭和二二年、一九四七年に現行憲法ができて、一回も改正したことがない。ドイツは四六回改正してきたわけです。このメールは一〇月二七日に来たんですが、その日に第四七回目の憲法改正が行われましたと書いてこられた。どういう改正が行われたかというと、これまでは女子が軍務についても武器をとることは禁止されていました。ところが、今回の改正で、女子兵士も軍務につく場合、軍隊に入る場合、武器をとることを義務づけました。それは、あるドイツの女性兵士が、男子にだけ武器使用を認めて、女子が使用することを禁止することは、男女平等の原則に反すると抵抗して、結局、欧州裁判所まで持ち込んだ。その結果、欧州裁判所は、この女性兵士の言い分を認めたので、ドイツも欧州裁判所の決定に従わざるを得なくなり、ついに従来の憲法では通用しないということになって改正したと、クライン孝子さんがメールに書いてきてくれて、びっくりしました。四七回も改正したことも私にはショッキングなことですが、徴兵制が認められてない日本ではこの種のことは考えられない。女子兵士に武器使用を認める憲法改正を今ごろやったわけです。多分、きょうの出席者はどなたも賛成しないと思いますが、ドイツにおいてはそういうことが行われています。国を守る義務がいかに当然視されていることの例証だと私は思います。国を守る義務がない、また、世界の平和を守るために日本の国民が軍事的な貢献をしない、憲法で禁じているということでは、私は、品格ある国家にもとると思います。

 
 

硬直したままの状態では、新しい国家目標は出てこない  
もう一点は環境問題です。環境という言葉も、環境を守る責任についても、今の憲法には全く出てない。環境権あるいは環境保全義務は新しい価値観です。憲法をつくったときには、この価値観はなかったわけですから、これは当然、憲法を改正して取り入れないと時代に合わないことは明らかです。これだけ多数の権利がある一方で、義務と言えば環境保全の義務すらもないということは考えなければなりません。これは賛成していただけると思いますが、世界がこれだけ憲法に関して弾力的な対応をとっている中にあって、日本の憲法に対する非常に硬直化した姿勢は際だっています。もちろん今の憲法に国会議員の三分の二の多数が賛成しないと発議できない条項があるために憲法の改正がしにくいこともありますが、憲法自体が余りにも時代遅れになりつつあることを申し上げておきたい。そして、憲法を改正することを通じて、新しい国家目標をどう定めるか。国家の利益と国民の利益、個人の利益、それから国際社会の利益をどう調和させるか、あるいは、個人と、国家という全体と、国際社会という全体の関係をどう律するかを明確にしなければならない。その憲法が固定化され、硬直したままの状態では、新しい国家目標は出てこない。国際社会の中で日本はどういう貢献を果たしていくのか、国民は国家に対して今後とも引き続き忠誠心を持っていけるのか、国家は国民の何を守るかというようなことを、国全体で国民全体で考えて、二十一世紀の日本のあるべき姿、新しい国家像を明確にすべきときが来たことを強調しておきたいと思います。

若い人は、活力、知性、勇気、感受性を身につけて
 
そういう面での政府のリーダーシップが、今は非常に欠けています。ここにご参加いただいた学生の皆さん、時間が参りましたので、最後に申し上げておきたいと思いますが、今の日本の政治に欠けているものは、私は知性と品性と責任感だと思っています。一〇〇年ほど前にバートランド・ラッセルは近代国家に要求される国の資質を四つ上げています。まずバイタリティ、活力ですね。それからインテリジェンス、知性、カレッジ、勇気、センシビリティ、感受性です。このラッセルの言葉は、今日もなお正しいと思います。活力、知性、勇気、感受性、その中でとりわけ重要なのは活力です。国家、国民の活力を担うのは青年です。青年が新しい国家目標に向かって、みずからの貴重な人生を活力を持って、実現のために結束して臨んでいく姿が一番大事ではないかと思います。この大学に四つの学部があるように、それぞれに得意な分野があり、役割分担があり、活躍する分野も違うかもしれませんが、活力、知性、勇気、感受性、この四つを身につけて、新しい国づくりに邁進していただきたいと思います。もちろん、まず、政府が模範を示すことが大切ではないか、というご指摘があると思います。私は自民党の一員ですが、政権与党として、果たして知性、品性、責任感において欠けるものはないのかと言われますと、内心忸怩たるものがあるわけです。今の政府において、ときどき総理の責任、たとえば任命責任があるとかないとかというような議論をしています。この点は、政治家に求められる資質として三つがよく挙げられています。それは情熱、先見性、そして結果の三つです。最後の結果は、要するに結果責任ということです。結果責任を常に政府がとっていくことがなければならないんじゃないかと私は考えています。それが欠けていると、政治に対する信頼が失われ、国家全体が二十一世紀において発展するどころか、衰亡のほうに向かっていきかねないと心配しているわけです。  私としては、二十一世紀が、引き続き発展する日本の世紀であるように、世界の国々から尊敬され感謝される国際的貢献を果せる国づくりを行いたい。この決意を若い皆さんに披瀝して、とりあえず、私の話を終わります。ご清聴ありがとうございました。(拍手)

講演後質疑応答より

【問い】さきの長野知事選挙での無党派の田中康夫氏の当選に象徴されるように、有権者の政党に対する期待が薄れつつあることは否めません。いわゆる政党不要論に対する正当性と問題点について山崎さんはどうお考えでしょうか。

従来の政党が、この機に新しい政党として脱皮していく
【山崎】長野知事選だけではなく、既成政党に対する国民の評価は大変低下していると思います。共産党を除く全政党が応援し、推薦した候補者が落選して、全く政党の推薦、支援がない方が当選したわけです。同様のことは東京二十一区の補欠選挙でも起こっており、全国的な傾向です。さっき、私が述べたようなさまざまな社会の行き詰まり状況があるわけですが、この行き詰まりを解決する処方箋を既成政党は示してないということが背景にあって、無党派層が大きく票をとる結果につながっていると感じています。では、どうやってこの傾向をくいとめ、政党の信頼を回復していくのかということになれば、やはり各政党が解党的出直しをして、国民の信頼を回復できるような政見・ビジョンを掲げる。それからメンバー・チェンジを明らかにする。今の政党の人事というか、リーダーシップでは国民の支援を勝ち取ることはできないと思いますが、新しいリーダーを各政党が擁立することが必要です。それから、憲法改正を通じて政界の再編があると言いましたが、二〇世紀の後半をつくってきた従来の政党が、この機に新しい政党として脱皮していくことが必要です。厳しいが、自民党内でも体質改善を実現するよう努力するつもりです。

【問い】山崎さんは、国を守る権利と義務、環境を守る権利と義務についておっしゃられておりました。権利と義務について、自由民主主義的には具体的にはどの程度までが義務であり、そして権利なのかを、山崎さんご自身としてはどのようにお考えなのか、お聞かせください。

公共の利益に反しない限り、国民の権利と自由は保証される

【山崎】国民の権利と義務のバランスについて申し上げましたが、一口に言うと、全体と個人の関係です。今の憲法では「公共の福祉」が謳われています。公共の福祉に反しない限り、憲法で保証された、さっき、十八挙げましたけれども、個人の権利は保証されるとしています。「公共の福祉」というこの表現が非常にわかりにくいと思います。私は「公共の利益」に変えるべきだと。公共の利益に反しない限り、国民の権利と自由は保証されるというふうに置きかえるべきだと思います。自分の利益だけじゃなくて、全体の利益とバランスをとることが肝心ではないかと、このように思います。

【問い】各報道機関の調査によれば、森内閣の支持率はこぞって一〇%台を記録するなど、危機的状況に陥っています。森首相が有権者の信頼を獲得していくためには、そしてリーダーシップを回復するには、教育改革の推進などのほかに、どのような要素が要求されるとお考えでしょうか。

政策転換しないと、森内閣支持率は回復しない
【山崎】森内閣がどうもあかんぞという問題設定には、ちょっと答えにくいところもあるが、要するに、一内閣一使命という言葉があるように、トップリーダーになった方は、何をするかを明確に謳って政権の座につくものだし、また、つくべきものです。ところが、森総理は一回も総裁選挙にお立ちになったことがない。政見や政策上の方針が明確でない点が、森総理のいわば欠点だと思いますね。そこで、小渕政権の政策目標である景気の回復をそのまま引き継いだわけです。多分、これから先は教育改革をやるんだと言っておられるので、これが森内閣、一内閣一使命とすれば、あるいはそれかなと私は考えています。ただ、景気回復について、なおかつ、まだ成就していない。だから、引き続き財政政策で、公共事業で景気を立て直していくんだと執行部は主張しています。それに対して、もうそういうやり方は行き詰まっている、むしろ財政再建をやったほうが景気はよくなる、構造改革をやったほうが景気はよくなると私は言っているわけです。財政が行き詰まると、予算の配分が自由にできなくなる。お金が足らなくなって、打つべき手が打てなくなる。国債を乱発すると、そのことを通じて金利が高騰します。金利が上がると、経済に対する血液の循環が悪くなって、血をとめる作用をする。あるいは、財政が悪いから、将来に対する不安感が国民全体にはびこり、経済で一番大きな役割を果たしている消費が伸びないということになってくる。むしろ思い切って財政の大手術をやるべきなんじゃないかと考えています。そういう政策転換をやらないと、また一年、ここで延ばすことになると、若い世代の皆さんが借金を負う、将来返済の責任を負うわけです。政策転換しないと、森内閣支持率は回復しないと思います。

憲法を変えたうえで、教育基本法を変えなきゃいけない

問題は教育改革です。教育改革は非常に大事なんだけど、教育基本法をどうするかというところに非常に大きな問題点があって、私は、教育基本法問題を持ち出せば、今の連立政府は、公明党は教育基本法の改革に慎重というか、反対ですから、この政権自体が政策不一致に陥りかねないと思いますね。私に言わせれば、教育基本法には現行憲法の精神を受けて教育の基本を定めると書いてある。憲法を変えたうえで、教育基本法を変えなきゃいけない。中曾根元総理が最近の講演の中でおもしろい指摘をされました。明治憲法は明治二二年にできて、教育勅語は二三年にできた。今の現行憲法は昭和二二年にできて、昭和二三年に今の教育基本法ができた。二二年、二三年の関係がある。そうすると、平成二二年に、ちょうど一〇年後ですが、日本国憲法を改正して、平成二三年に今の教育法が改正されるという歴史の偶然はあり得るかな、と思います。ちょっと遅すぎるように感じますが、憲法に国民精神が書いてあるわけで、新しい国民精神、全体と個人のバランスについて、社会全体のことをよく皆さんに考えてもらいます。まず、憲法から変えなくちゃなりませんし、また、連立政権の中で反対があるということで、森さんが言ってる教育改革は、ちょっと方向が違うのではないかなと考えています。そこのところを抜きにして、当面の教育現場の混乱をどうするか、学級崩壊とか、登校拒否とか、いじめとか、いろいろあるし、一方、ノーベル自然化学賞の対象となる理数系の基礎科学分野における人材が枯渇してきつつある。そういった点をどうやって改めていくかということに集中したらいいんじゃないかなと私は考えています。