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産経新聞「山崎幹事長の憲法改正案に思う:  改正議論を進める一つの突破口になる」
「正論」2001年5月16日掲載
岡崎久彦            
 
<伝わる改正への意気込み>  
 
 山崎拓氏の『憲法改正』を読んだ。  
 
 憲法改正案は数多く提案されているが、ほかならぬ現職の自民党幹事長の提案であり、憲法改正が政治の主要課題の一つとなりつつある折柄、この問題の一つの軸となるかもしれないと思って読んでみた。  
 
 印象を一言で言えば、感動した。ちょっと読めば、これは誰かに書かせたものでもなく、あるいは、聞きかじりの知識や思いつきで書いたものでない事はすぐわかる文章である。そう思って、あとがきを読んでみると、有志の政治家達が集って、「幾日も幾日も、早朝から深夜まで、まさに寝食を忘れて議論した」結果であり、議論が収斂(しゅうれん)しなかった所は山崎氏が独断で書き下ろしたとある。  
 
 そうであろう。さもなければこの充実した内容、整理の良さが出て来るはずがない。  
 
 伊藤博文が明治憲法を草した時は、約三か月、陸を離れた神奈川県の夏島にこもり、男だけ四人の生活で「筆を執っていなければ、喋舌って(議論して)いるという珍無類の生活だった」というが、それをも彷彿とさせる。  
 
 もう一度日本人自らの憲法を作るのである。今後ともその位の意気込みと努力で新しい憲法を作るべきものであろう。  
 
<実害あるのは第九条だけ>  
 
 そもそも憲法改正がどうしても必要なのは第九条だけであり、あとの部分は、思想的にも文章上も、日本人が自ら作っていないという正統性の問題はあるが、実際の運用にあたっては、それほどの実害があるものではない。  
 
 言論、結社の自由、婦人参政権、労働諸法、農地解放などは、占領中の言論統制とそれを受けた戦後教育によって、現行憲法の賜物であるかのように一般に信じられているが、実は全て日本側のイニシアチブによったというのが歴史的事実である。  
 
 戦争が終って、満州事変前後以来の準戦時体制、戦時体制が終れば、大正デモクラシーに戻るのは当然である。また、婦人参政権の例に見られるように、二〇世紀前半の世界の進運の中で、日本ほどの民度の高い国にならば平和時には当然の改革であった。現に、これらすべての改革は、新憲法制定前の明治憲法の下で、それと何ら抵触する事なく法制化されている。  
 
 全く日本人の発意によらず、新憲法の制定を待って初めて導入されたのは、条文としては憲法九条だけと言って良いので、山崎案もその個所だけを紹介する。  
 
 第九条の一項は「自衛権を行使する場合を除き」という一句を挿入した以外はそのまま残している。これは正しい。憲法の思想的源泉であるケロッグ・ブリアン条約は、本来自衛権を除外している。それがこの挿入でより明確になる。そして第二項を削除し、「日本国の主権と独立を守り、国の安全を保つとともに、国際平和の実現に協力するため、内閣総理大臣の最高指揮権の下、陸、海、空軍、その他の組織を維持する」としたのは、誠に簡にして意を尽くしている。  
 
<見識と勇気要する発言>  
 
 そして前文で、「権利は義務を伴い、自由は責任を内在する」と権利主張の過剰を戒め、本文に「国民は法律の定めるところにより、国家の安全に寄与する義務を負う」と明記したのは、当たり前のようでありながら、相当の見識と勇気を要する発言である。  
 
 ただ一つ気になっていたのは、山崎氏が従来解釈改憲に反対して来た事である。解釈改憲反対論者は、憲法改正はどうせ出来ないと見通した上でそれを現状変更回避の口実としている人か、あるいは戦後の無理に無理を重ねた解釈論の泥沼で身動きが取れなくなっている人の場合が多いのであるが、山崎氏はそういう人とも思われず、怪訝(けげん)に思っていた。  
 
 この本によると「既成事実を積み上げてなし崩し的に改憲をはかる政治家」というイメージに反撥しているとある。この本を読めば、その心情はわからないでもないが、自分についてのそんなイメージがいやだというだけの事ならば、しょせん私情といえないだろうか。  
 
 氏も主張しておられる集団的自衛権の行使を改憲で認めるのが国益ならば、解釈改憲で実現するのも国益である。すでに小泉総理は従来の解釈の再検討を示唆している。小異を捨てて大同につかないと、また今度の政権もみすみす改革のチャンスを逃して問題を先送りにするだけに終る恐れがある。  
 
 
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